日本大百科全書(ニッポニカ) 「園部」の意味・わかりやすい解説
園部
そのべ
京都府中央部、船井郡(ふないぐん)にあった旧町名(園部町(ちょう))。現在は南丹市(なんたんし)の南西端を占める一地区。1889年(明治22)町制施行。1929年(昭和4)園部町は桐ノ庄(きりのしょう)、園部の2村を編入、1951年川辺(かわべ)村を編入、1955年摩気(まけ)、西本梅(にしほんめ)の2村と合併。2006年(平成18)日吉(ひよし)、美山(みやま)、八木(やぎ)の3町と合併、市制施行して南丹市となる。丹波(たんば)高地に位置し山がちであるが、北東部には大堰(おおい)川が流れ、中央部をその支流の園部川が貫流し、流域には平地も開ける。JR山陰本線は町域の東部を通過し、また国道9号は観音(かんのん)峠を越えて京丹波(きょうたんば)町に入り、園部川に沿って走る府道は国道372号と合流して兵庫県丹波篠山(たんばささやま)市に通じる。京都縦貫自動車道が国道9号と並んで通り、園部インターチェンジがある。また国道477号が9号と372号を連絡している。中心地区の園部は小出(こいで)氏2万9000石園部藩の城下町、また山陰街道の宿場町であった。江戸時代には園部から下流は園部川と大堰川の舟運により、筏(いかだ)を利用して米、薪炭(しんたん)などが京都に送られた。園部城は隅櫓(すみやぐら)、城門、城壁などを残す。室町時代前期の春日(かすが)神社本殿、鎌倉後期の様式を示す九品(くほん)寺の楼門などは国指定重要文化財。園部川上流の琉璃渓(るりけい)は国の名勝、府立自然公園に指定される景勝地。
[織田武雄]
『『園部町史』(1975・園部町)』