土井垣武(読み)ドイガキ タケシ

20世紀日本人名事典 「土井垣武」の解説

土井垣 武
ドイガキ タケシ

昭和期のプロ野球選手 元・若松社長。



生年
大正10(1921)年7月1日

没年
平成11(1999)年1月24日

出身地
鳥取県米子市

本名
若松 武(ワカマツ タケシ)

学歴〔年〕
米子中(現・米子東高)卒

経歴
米子中から昭和15年阪神に入団。藤村富美男らとともにダイナマイト打線を築いた。25年毎日、29年東映、31年阪急に移籍戦中戦後を通じて活躍し“球史最高の捕手”と言われたが、プロの水になじめず39年阪神のコーチを最後に引退。実働15年、1413試合、4783打数1351安打、79本塁打、655打点、87盗塁、打率.282。21年には打率.325でベスト3になった。のち改姓して若松社長として西陣織関係の仕事をした。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「土井垣武」の解説

土井垣武 どいがき-たけし

1921-1999 昭和時代のプロ野球選手。
大正10年7月1日生まれ。昭和15年阪神に入団。強肩と正確なスローイングの捕手として活躍。小柄ながら右翼長打をとばし,ダイナマイト打線の5番を打つ。25年毎日に,のち東映,阪急にうつる。のち若松姓。実働15年,通算2割8分2厘,79本塁打。平成11年1月24日死去。77歳。鳥取県出身。米子中学卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android