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土佐坊昌俊 とさのぼうしょうしゅん

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世界大百科事典 第2版の解説

とさのぼうしょうしゅん【土佐坊昌俊】

平安末期~鎌倉初期の僧。生没年不詳。1184年(元暦1)平氏追討のための源範頼軍の中にその名が見える。85年(文治1)正月,範頼軍の一員として周防から豊後へ転戦するなど,幕府軍の武将として活躍している。源義経が背くと,昌俊は義経追討を進んでひきうけ上洛するが,失敗に終わった。91年(建久2),昌俊の老母が亡息昌俊について源頼朝に面会・談合している。【小田 雄三】

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All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

世界大百科事典内の土佐坊昌俊の言及

【源義経】より


[世盛り]
 世盛りの時代の義経の活躍は《平家物語》などに見えるが,なかでも摂津国一ノ谷鵯越で,人馬も通わぬ嶮岨な坂を精兵3000を率いて敵陣の背後をついた坂下し伝説,屋島の合戦に海に落とした自分の弓を,叔父為朝の剛弓に恥じて,危険を冒して拾い上げる弓流し伝説,壇ノ浦の海戦に,敵将能登守教経に追われて,次々と8艘の船に跳び移り,これをのがれた八艘飛び伝説,屋島の平家軍を襲うため,船の舳先(へさき)にも艫(とも)にも櫓を立て,進退自由にしようと主張する梶原景時と対立して今にも景時を切ろうとしたとする逆櫓論伝説,生捕りにした平宗盛父子を護送して相模国腰越に到着した義経が,頼朝から鎌倉に入るのを拒まれ,いわゆる〈腰越状〉を書いて弁明したとする腰越状伝説などが有名である。
[没落期]
 京都に帰った義経は堀河の館にしばらくとどまるが,義経の討手を頼朝から命じられ,熊野参詣と称して上洛した土佐坊昌俊(正尊などとも)に襲われる(能《正尊》,幸若舞《堀河夜討》などにも)。北条時政が大軍を率いて討手に向かったとの噂を聞いた義経は,西国に下ろうとして摂津の大物浦から出船すると,にわかに暴風雨が起こって,平家の怨霊があらわれる。…

※「土佐坊昌俊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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