土崎湊加賀町(読み)つちざきみなとかがまち

日本歴史地名大系 「土崎湊加賀町」の解説

土崎湊加賀町
つちざきみなとかがまち

[現在地名]秋田市土崎港中央つちざきみなとちゆうおう三丁目の一部

弘化三年(一八四六)絵図によれば、南側は西に根布屋ねふや小路、東に満船寺まんせんじ小路を隔てて永覚えいかく町に連なる。松本姓氏録(松本家文書)

<資料は省略されています>

とあり、加賀からの移住者居住に町名縁起を求めている。安政年間(一八五四―六〇)の東講商人鑑(土崎港町史)に廻船問屋二軒、小宿三軒、附舟一軒とみえ、富有の町であった。元文年間(一七三六―四一)の湊古絵図に、加賀町裏通に面し、本住ほんじゆう寺が寺門を構え、久保田寺町伝法でんぽう寺の末寺という。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む