稲荷町(読み)イナリマチ

デジタル大辞泉 「稲荷町」の意味・読み・例文・類語

いなり‐まち【稲荷町】

《楽屋内の稲荷明神を祭った近くにその部屋があったところから》江戸時代歌舞伎での最下級の役者。また、その部屋。
1から転じて》演技のへたな役者。

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精選版 日本国語大辞典 「稲荷町」の意味・読み・例文・類語

いなり‐まち【稲荷町】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙
    1. 近世、歌舞伎で最下級の役者のいる部屋。楽屋の稲荷明神をまつってある近くにあったところからという。また、「いなり」は「居成(いなり)」から転じたものともいう。→居成
      1. [初出の実例]「茶や女ばかされに行くいなり町」(出典:雑俳・柳多留‐三四(1806))
    2. ( から転じて ) 歌舞伎の端役を演ずる役者。また、芸のへたな役者。下立役(したたちやく)。お下(した)。若い衆(しゅ)。稲荷。
      1. [初出の実例]「いなりまちと申しまして役者の下々でござります」(出典:黄表紙・狂言好野暮大名(1784))
  2. [ 2 ] 長門国(山口県)下関にあった町名。現在の赤間町の北部にあたり、古く遊女町として知られた。
    1. [初出の実例]「文司の雁誰がかよひぢのいなり町〈随曲〉」(出典:俳諧・誹枕(1680)下)

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日本歴史地名大系 「稲荷町」の解説

稲荷町
いなりまち

[現在地名]南区稲荷町・松川まつかわ町・金屋きんや町・比治山ひじやま町・的場まとば町二丁目

京橋きようばし町の南に位置し、北西に東柳ひがしやなぎ町があるほかは東は段原だんばら村内の的場・金屋かなや町など、南は段原村に接し、西南部は京橋川に臨む。城下新町組に属した。元和五年広島城下絵図には東より「ひじやま町二町」「大工町一町」「大黒町一町五十間」「東土手町二町五十間」の四本の縦町が記され、寛永二年広島町数家数改め(済美録)にはこのうち「京橋土手町」本家二九軒・借家二軒および「ひち山町」本家七八軒・借家三九軒の記載がある。大工職が多く居住した大工だいく町は寛永一六年(一六三九)に東西に町割が行われており、天和の切絵図では大黒だいこく町は松川町となっている。


稲荷町
いなりまち

[現在地名]下関市赤間あかま

赤間町の北に位置する。町の北、小高い丘の麓に稲荷神社が鎮座し、同神社と赤間町を結ぶ道路に面して広がる両側町。天和二年(一六八二)刊の「好色一代男」に「下の関いなり町」とみえ、早くから広く知られた遊女町。

下関の遊女の起源については、寿永四年(一一八五)壇之浦合戦で平家が滅亡、生き残った建礼門院の官女たちが当地の苫商の家に寄食し草花を手折って港に停泊する船に売っていたが、のち遊女となったと伝える。


稲荷町
いなりまち

[現在地名]富山市稲荷町一―三丁目・稲荷町・弥生町やよいちよう二丁目

やなぎ町の東に続き、北陸街道(巡見使道)に沿う両側町で富山城下の東端にあたる。散地のうち。延宝年間(一六七三―八一)稲荷村の街道沿いに町並が形成され、町立てされた(越中志徴)。天保一二年(一八四一)の富山町方旧事調理には、同じく延宝年間に柳町境から加賀藩領境の赤江あかえ川の橋まで南側が町地となり、田地歩高一万五千九〇〇歩余の地子銀、および懸銀が免除され、女持旅籠屋なども勝手次第に作ってよいことになったと伝えている。


稲荷町
いなりまち

[現在地名]能代市おお

西に下川反しもかわばた町、南にうしろ町、北に大町がある。

享保一三年(一七二八)の能代町絵図(能代市役所蔵)に稲荷町とあるが、寛保元年(一七四一)の「代邑聞見録」に「稲荷明神、野代奉行大窪丹後殿勧請とかや。寛文年中御材木場囲の外西方へ遷、今稲荷町は其跡とぞ」とあり、元禄七年(一六九四)の地震後、稲荷明神社はやなぎ町北側に移されたとある。「旧記抜書之ケ条」(三輪家文書)に寛文三年(一六六三)「稲荷町立」とあり、続けて「今按ニ此町今金沢伊兵衛屋敷裏地ノ方ニ、大町と後町との裏通ニ右町有、寛保三年能代大変焼失之節、町々はば等迄御改之砌、下川端町へ屋敷替被仰付候より、此町無之、今大町後町裏地間之通道ニ成ル。


稲荷町
いなりまち

[現在地名]大村市片町かたまち 稲荷町

片町の東部中ほどに位置する。町名の由来となった稲荷社があり、同所には祇園社も鎮座する。当初は武家地の草場くさば小路のうちで、寛文八年(一六六八)より徐々に武家屋敷が移転、天和年間(一六八一―八四)に侍屋敷がなくなり、町人地の片町に編入されたという。しかし享保元年(一七一六)防火のために切通口から稲荷社境内前に至る片町四丁目・片町新町の三一軒(稲荷町の前身の一部)が取払われ、杉が植えられ、罹災時の切取場とされた。


稲荷町
いなりまち

[現在地名]柳川市稲荷町

ふだつじ町の東にある。城戸門より渡された橋から西に延び、北へ直角に折れる通りを中心とした片側町。町名は東西の通りの西端にあった稲荷宮に由来するか。東は外堀を隔ててほか小路と、北は鬼童おんどう小路・宗信そうしん町。寛政二年(一七九〇)の沖端町絵図には町名はみえず、東北町と記されている。年不詳の柳川城下絵図・沖端北部(九州大学附属図書館六本松分館蔵檜垣文庫)に町名がみえ、木戸によって宗信町通と画されていた。東にある光国こうこく寺は浄土真宗本願寺派の寺院で、初め光円寺と号していた。


稲荷町
いなりまち

[現在地名]長浜市朝日町あさひちよう

北国街道に沿う両側町で、南は十一じゆういち町、北は下船しもふな町に続く。瀬田せた村領年貢地。元禄八年大洞弁天寄進帳では家数二二(借屋二)、男四八・女四二で、町代・横目が置かれ、紺屋二・船持二・茶屋二・布屋・油屋・米屋・木綿屋・酒屋・鍬柄屋・木屋・糸屋・炭屋・煙草屋・豆腐屋がいた。享保一五年(一七三〇)の長浜人数留(今村文書)によれば家数二三、男五七・女五二。文化六年(一八〇九)の竈数二二(「町役掛諸用要留」吉川文書)


稲荷町
いなりちよう

下京区河原町通四条下ル一丁目

ほぼ南北に通る河原町かわらまち通を挟む両側町。

平安京では京域外で、崇親すうしん院領であった。

天正一九年(一五九一)豊臣秀吉により市中に御土居おどいが築きめぐらされたが、当町の西側にも築かれた。寛文頃に町地として開拓されたという。元禄・宝永の頃まで旧土居藪の地の開発が行われた(元禄九年京大絵図・寛保初京大絵図)

天明六年(一七八六)京都洛中洛外絵図に「稲荷丁」とあり、以後変更はないようである。町名は開発当初に稲荷神を祀る小祠があったことによる。


稲荷町
いなりちよう

下京区間之町通高辻下ル

南北に通る間之町あいのまち通を挟む両側町。町の北側は高辻たかつじ(旧高辻小路)にも面する。

平安京の条坊では左京五条四坊二保四町の地。

町名は寛永一八年(一六四一)以前平安城町並図や、寛文五年(一六六五)刊「京雀」では「つゞらや町」とみえるが、寛永一四年洛中絵図は「いなり町つきぬけ」と記しており、寛文後期洛中洛外之図に「いなり町」とある。しかし寛文一二年(一六七二)洛中洛外大図には「稲荷町突抜町」とみえ、江戸中期までは両者を併用していたらしい。


稲荷町
いなりちよう

[現在地名]堺市北半きたはんひがし

北半町の東にあり、北半町と北旅籠きたはたご町の間の東西路に面する片側町。町内を東西に二分する道が土居どい川の稲荷橋に通じている。町名は元和年中(一六一五―二四)鍛冶芝辻道逸が勧請したという稲荷神社(現高須神社)門前にあたることによる。


稲荷町
いなりちよう

[現在地名]八戸市稲荷町

八戸城の南西、城沿いの武家町の西端に位置する武家町。東は徒士かちし町、西は糠塚ぬかづか村、南はあら町、北は売市うるいち村に接する。東を北西から南東の方向に街路が通り、東と西に街路が延びるが、徒士町に至る道は鉤形となる。文久年間(一八六一―六四)八戸御城下略図に新稲荷丁とあり、諸士名がみえる。


稲荷町
いなりちよう

下京区七条通加茂川筋西入

東西に通る七条通(旧七条大路)に北面する片側町。

平安京の条坊では、左京七条四坊三保一三町南側と同八条四坊四保一六町北隅、平安中期以降は七条東京極大路西の地。

妙法院門跡領の耕地であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「稲荷町」の意味・わかりやすい解説

稲荷町
いなりちょう

東京都台東区西部の旧地区名。下町の商業地で,JR上野駅の東方にあり,東京地下鉄銀座線稲荷町駅がある。浅草通り南側は仏具問屋街,北側は寺町の色彩が強い。明治5 (1872) 年に下谷稲荷をまつったのが地名の起源。

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世界大百科事典(旧版)内の稲荷町の言及

【楽屋】より

…こうして明治末期ころまで歌舞伎劇場の楽屋は,きびしい規律によって秩序が保たれていたのである。江戸時代の歌舞伎劇場の構造は,法規上制約が多くあって,1階には芝居の守護神といわれる稲荷大明神をまつり,〈稲荷町〉と呼ばれるその他大勢といった新入りの俳優たちの大部屋と,頭取,狂言作者,囃子方,大道具,小道具,衣装方など舞台関係者の部屋に区画され,2階以上がおもな俳優の部屋ときめられていた。2階は女方の部屋で,いちばん奥に立女方の部屋があり,その他の女方の〈中二階〉と呼ぶ部屋があった。…

【歌舞伎】より

…単に〈上分(かみぶん)〉ともいわれた。 稲荷町(いなりまち)最下級の役者で,〈下立役(したたちやく)〉あるいは〈お下〉〈若い衆〉とも呼ばれた。仕出しやぬいぐるみの動物,序開き,脇狂言を受け持ち,舞台と楽屋の雑用をする。…

※「稲荷町」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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