土橋河田村(読み)つちはしかわたむら

日本歴史地名大系 「土橋河田村」の解説

土橋河田村
つちはしかわたむら

[現在地名]愛知川町川久保(かわくぼ)・石橋(いしはし)

土橋村の東にある。慶長五年(一六〇〇)彦根藩領となり、慶長高辻帳に河田村とみえ高三四八石余。文久二年(一八六二)上知。しかし、領民の反対などにより彦根藩預所として明治維新に至る。旧高旧領取調帳では土橋河田村高一八三石余と山塚(やまつか)村一六四石余に分けて記される。もともと山塚村を含んで川久保(かわくぼ)村とも称したと思われ、元禄八年大洞弁天寄進帳によれば、山塚村は男六一・女六七、寺社方男一となっている。宝暦六年(一七五六)には山塚村・川久保村合せて高三四八石余、両村の小入用は夫米九石余・郷中間米一石余・伝馬銀一石余、村役人への給米二石余、人足入用など合せて総計二九石余(「近郷小入用品上申控」春田文書)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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