日本歴史地名大系 「土橋河田村」の解説
土橋河田村
つちはしかわたむら
[現在地名]愛知川町川久保 ・石橋
土橋村の東にある。慶長五年(一六〇〇)彦根藩領となり、慶長高辻帳に河田村とみえ高三四八石余。文久二年(一八六二)上知。しかし、領民の反対などにより彦根藩預所として明治維新に至る。旧高旧領取調帳では土橋河田村高一八三石余と
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
土橋村の東にある。慶長五年(一六〇〇)彦根藩領となり、慶長高辻帳に河田村とみえ高三四八石余。文久二年(一八六二)上知。しかし、領民の反対などにより彦根藩預所として明治維新に至る。旧高旧領取調帳では土橋河田村高一八三石余と
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