日本歴史地名大系 「愛知川町」の解説 愛知川町えちがわちよう 滋賀県:蒲生郡日野町日野町愛知川町[現在地名]日野町村井(むらい) 村井越川町(むらいえちがわちよう)、大窪(おおくぼ) 大窪越川町(おおくぼえちがわちよう)新(しん)町の西に続く本(ほん)町通の両側町で、越川とも記した。正徳五年(一七一五)の三町絵図では北側が日野村井町分、南側が日野大窪町分となっており、江戸時代は南北で所属が違っていた。大窪愛知川町は延宝七年(一六七九)より大窪組に所属。天文三年(一五三四)頃の城下形成時に愛知川宿(現愛知郡愛知川町)より住人が移住して成立した町と伝え(蒲生旧趾考)、城下町割には本町通九ヵ町の一に越川町とみえ、位置は同じ。 愛知川町えちがわちよう 滋賀県:愛知郡愛知川町面積:一三・〇〇平方キロ愛知郡北西部の愛知川右岸に位置し、北は彦根市、東は秦荘(はたしよう)町および宇曾(うそ)川を挟んで犬上(いぬかみ)郡豊郷(とよさと)町、西は愛知川を挟んで神崎郡五個荘(ごかしよう)町・能登川(のとがわ)町、南は湖東(ことう)町と接する。中世から愛知川の渡河集落や近隣の交易の中心地として愛知川市、長野(ながの)市などがあり、小幡商人・保内商人の活躍により栄え、近世にはこの系譜を引き、中山道の宿場町として栄えた。しかし明治以降は鉄道交通から切離されたこともあり衰微した。弥生時代から古墳時代にかけての集落の存在が確認され、また古代には大国(おおくに)郷・長野郷に属し、奈良時代には奈良元興(がんごう)寺領大国郷、東大寺領愛智(えち)庄、大安寺領庄園などが開墾され、平安期からは大国庄・愛知庄・日吉庄などが置かれ、内部はさまざまな庄園領主に分有されていた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by