土陽新聞(読み)どようしんぶん

改訂新版 世界大百科事典 「土陽新聞」の意味・わかりやすい解説

土陽新聞 (どようしんぶん)

第2次大戦前,高知で発行されていた自由党系,後に政友会系の日刊紙。《海南新誌》と《土陽雑誌》が合併改題し,1877年創刊される。78年4月休刊するが,80年立志社の機関紙《高知新聞》(第2次)の身代り新聞として81年12月14日,第2次の《土陽新聞》が創刊された。身代り新聞とは民権派の新聞が,発行停止を武器とした明治新政府の新聞弾圧に対抗する手段として考えだしたもので,同じ新聞社で主力紙Aのほかに,あらかじめB紙ないしC紙の新聞発行許可を得ておき,A紙が発行停止になるとすぐに代りにB紙を出す。言論活動の持続性を維持するための戦術といえる(B,C紙がA紙の身代り新聞)。82年《高知新聞》が発行禁止となってからは,自由党の機関紙として植木枝盛坂崎紫瀾片岡健吉,林有造らが筆を振るった。1900年代に入り社内に郡部派(地主層)と中央派(新興実業家層)の対立が起こり,中央派は敗れて04年9月《高知新聞》を創刊,以後この両紙が高知の新聞界を二分した。15年板垣退助の手を離れて政友会の機関紙となるが,経営は振るわず29年《高知新聞》の経営下に入った。41年の戦時新聞統合で《高知新聞》に吸収合併された。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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