坂浄運(読み)さかじょううん

精選版 日本国語大辞典 「坂浄運」の意味・読み・例文・類語

さか‐じょううん【坂浄運】

  1. 室町末期の医家。明応年間(一四九二‐一五〇一)明に渡り、漢方を学ぶ。帰国後に後柏原天皇の病を全快させて法印に叙せられ、名医とたたえられた。著書「続添鴻宝秘要抄」。生没年未詳。

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朝日日本歴史人物事典 「坂浄運」の解説

坂浄運

生年:生没年不詳
室町後期の医者。坂士仏の子浄快の玄孫。父は浄喜。明応年間(1492~1501)明に渡り,張仲景(漢の名医で『傷寒論』の著者)の医学を学んで帰国。名声を博して足利義政,後柏原天皇の侍医となり,治部卿,法印に叙される。曾祖父浄秀の著『鴻宝秘要抄』を大幅に増補して『続添鴻宝秘要抄』(1508)を撰述。これは日本で初めて『傷寒論』を紹介した書ともされるが,最近の研究では『傷寒論』はすでに13世紀に伝来し活用されていたことが明らかとなっている。しかし浄運らの中国留学活動は日本における明医学受容の大きな転機となった。子孫は吉田氏を称して幕府医官を勤め,盛方院家として江戸末期まで続いた。

(小曾戸洋)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「坂浄運」の解説

坂浄運 さか-じょううん

?-? 室町-戦国時代の医僧。
坂浄喜の子。明応年間(1492-1501)明(みん)(中国)に留学し,「傷寒論(しょうかんろん)」の著者張仲景(ちゅうけい)の医方をまなぶ。のち足利義政,後柏原天皇の侍医となり,治部卿法印。永正(えいしょう)5年曾祖父坂浄秀の「鴻宝秘要鈔」を増補した「続添鴻宝秘要抄」をあらわした。

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