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第104代天皇(在位1500~26)。名は勝仁。後土御門(ごつちみかど)天皇の第1皇子。母は贈内大臣庭田長賢(にわたながかた)の女(むすめ)朝子。1500年(明応9)父天皇死去の後を受けて位についたのであるが、当時は応仁(おうにん)の乱後の朝廷衰微の極にあり、即位の大礼を行うことができず、21年後の1521年(大永1)3月になって、大坂本願寺僧光兼の献金により、これを挙行するをえた。大永(たいえい)6年4月7日没。深草北陵に葬る。なお、後柏原天皇は応仁の乱後、朝儀の復興に努めたことは著聞するところでもあり、また『後柏原院御記』と称する日記が伝存し、今日は伝わらないが『御湯殿上日記(おゆどののうえのにっき)』を自ら記したことなども史籍にみえている。さらにまた『柏玉(はくぎょく)和歌集』『後柏原院御百首部類』という歌集も伝存している。
[村田正志]
第104代に数えられる天皇。在位1500-26年。後土御門天皇の第1皇子,名は勝仁。1500年(明応9)践祚。在位は戦国時代に当たり,朝廷の経済は窮乏し,即位式も践祚後22年目に本願寺光兼らの献金で行われた。天皇は中絶の朝儀の復活に努め,また痘瘡流行の際には般若心経を書写して万民の安穏を祈念したことは著名である。仏教の信仰が深く,また詩歌管絃や書道にもたんのうであった。歌集を《柏玉集》という。
執筆者:武部 敏夫
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1464.10.20~1526.4.7
在位1500.10.25~26.4.7
後土御門(ごつちみかど)天皇の第1皇子。名は勝仁(かつひと)。母は贈皇太后源朝子。1480年(文明12)親王宣下。1500年(明応9)践祚(せんそ)したが,即位礼は戦国動乱の最中で費用が調わず,22年目の21年(大永元)将軍足利義稙(よしたね)と本願寺光兼の献金により行われた。5年後,大嘗会(だいじょうえ)を行わないまま没した。
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