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後柏原天皇 ごかしわばらてんのう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

後柏原天皇
ごかしわばらてんのう

[生]寛正5(1464).10.20. 京都
[没]大永6(1526).4.7. 京都
第 104代の天皇 (在位 1500~26) 。名は勝仁。後土御門天皇の第1皇子。母は贈皇太后源朝子。明応9 (1500) 年践祚したが,戦国乱世で皇室財政は窮乏をきわめ,永正 18 (21) 年にいたって初めて即位式をあげることができた。

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デジタル大辞泉の解説

ごかしわばら‐てんのう〔ゴかしはばらテンワウ〕【後柏原天皇】

[1464~1526]第104代天皇。在位、1500~1526。後土御門(ごつちみかど)天皇の第1皇子。名は勝仁。戦国時代で財政が乏しく、践祚(せんそ)22年目にようやく即位の大礼を挙行。朝廷典礼の復興に努めた。歌集「柏玉集」、日記「後柏原天皇宸記」がある。

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百科事典マイペディアの解説

後柏原天皇【ごかしわばらてんのう】

室町後期の天皇。在位1500年−1526年。後土御門天皇の第1皇子。諱(いみな)は勝仁(かつひと)。応仁・文明の乱のあとを受けて朝廷の経済は窮迫し,即位式は践祚(せんそ)後22年目の1521年にようやくとり行われた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

後柏原天皇 ごかしわばらてんのう

1464-1526 戦国時代,第104代天皇。在位1500-26。
寛正(かんしょう)5年10月20日生まれ。後土御門(ごつちみかど)天皇の第1皇子。母は源朝子(ちょうし)。父の死で皇位をつぐ。応仁(おうにん)の乱の影響で,父の葬儀もすぐにはできず,即位式も践祚(せんそ)21年後の永正(えいしょう)18年におこなうなど財政逼迫(ひっぱく)のなかで,朝儀の復興につとめた。大永(たいえい)6年4月7日死去。63歳。墓所は深草北陵(ふかくさのきたのみささぎ)(京都市伏見区)。諱(いみな)は勝仁(かつひと)。歌集に「柏玉集」,日記に「後柏原院御記」。
【格言など】あふぎみむ人のためにも悲しきはわが世くもれる雲の上の月(「柏玉集」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

後柏原天皇

没年:大永6.4.7(1526.5.18)
生年:寛正5.10.20(1464.11.19)
戦国時代の天皇(在位1500~26)。後土御門天皇の第1皇子。母は伏見宮家司庭田長賢の娘朝子。諱は勝仁。文明12(1480)年12月親王宣下。父帝後土御門在位中から室町幕府の財源難で譲位が困難となり,父病没の跡を受ける形で37歳の壮年で践祚。父の大葬も財源なく,泉涌寺の奔走で死後43日目に執行された。従って即位礼の財源捻出は困難を極め,執政細川政元は大礼の省略を放言し,即位段銭の徴収を強行せんとした若狭守護武田元光は,被官国人に攻め殺される始末であった。永正4(1507)年に政元が暗殺され,翌年には執政が細川澄元・高国の間で目まぐるしく替わるという状況にあっては即位どころでなく,同年6月の将軍足利義材の復任により即位礼の日程が現実化したものの幕政はなお安定せず,大永1(1521)年3月になってようやく,将軍の京都出奔という異常事態のもと践祚後22年目にして大礼が挙行された。大嘗会に至っては全く見込みなく,問題にすらならなかった。いわゆる皇室式微を代表する天皇である。<参考文献>今谷明『戦国大名と天皇』

(今谷明)

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世界大百科事典 第2版の解説

ごかしわばらてんのう【後柏原天皇】

1464‐1526(寛正5‐大永6)
第104代に数えられる天皇。在位1500‐26年。後土御門天皇の第1皇子,名は勝仁。1500年(明応9)践祚。在位は戦国時代に当たり,朝廷の経済は窮乏し,即位式も践祚後22年目に本願寺光兼らの献金で行われた。天皇は中絶の朝儀の復活に努め,また痘瘡流行の際には般若心経を書写して万民の安穏を祈念したことは著名である。仏教の信仰が深く,また詩歌管絃や書道にもたんのうであった。歌集を《柏玉集》という。【武部 敏夫】

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大辞林 第三版の解説

ごかしわばらてんのう【後柏原天皇】

1464~1526) 第一〇四代天皇(在位1500~1526)。名は勝仁。後土御門天皇の第一皇子。乱世のため即位式は1521年に行われた。朝廷儀式の再興に努め、日記「後柏原天皇宸記しんき」、歌集「柏玉集」がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

後柏原天皇
ごかしわばらてんのう
(1464―1526)

第104代天皇(在位1500~26)。名は勝仁。後土御門(ごつちみかど)天皇の第1皇子。母は贈内大臣庭田長賢(にわたながかた)の女(むすめ)朝子。1500年(明応9)父天皇死去の後を受けて位についたのであるが、当時は応仁(おうにん)の乱後の朝廷衰微の極にあり、即位の大礼を行うことができず、21年後の1521年(大永1)3月になって、大坂本願寺僧光兼の献金により、これを挙行するをえた。大永(たいえい)6年4月7日没。深草北陵に葬る。なお、後柏原天皇は応仁の乱後、朝儀の復興に努めたことは著聞するところでもあり、また『後柏原院御記』と称する日記が伝存し、今日は伝わらないが『御湯殿上日記(おゆどののうえのにっき)』を自ら記したことなども史籍にみえている。さらにまた『柏玉(はくぎょく)和歌集』『後柏原院御百首部類』という歌集も伝存している。[村田正志]

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