大宝律令(たいほうりつりょう)において、中務(なかつかさ)省にある内薬司に属して、天皇の脈を診験し、医薬を供奉(ぐぶ)する医師を侍医と称し、「おもとくすし」とよんだ。896年(寛平8)に内薬司が宮内省の典薬寮に合併されてからは、これに属する宮廷医師を普通、典医とよんでいる。すなわち、医薬のことをもって官に仕える者を一般に典医とよぶが、この典医のうち天皇を診察し治療する者を侍医とよんだ。平日は安福殿の薬殿に詰め、天皇が殿上に出御のときは小板敷に侍して竜顔(りゅうがん)を拝した。鎌倉幕府が開かれてからは、京都から典薬寮の医官や施薬使を迎える習慣ができ、将軍の診候をつかさどる者も侍医と称するようになった。これは徳川幕府にも引き継がれ、営中にあって将軍の脈をとる者を奥医師とよんでいるが、通常、侍医と俗称している。明治維新後は宮内省に侍医寮が置かれ、これに属する勅奏任官を侍医と称した。その後幾多の改正を経て、現在では宮内庁侍従職に属している。
[深瀬泰旦]
『山田重臣著『典医の歴史』(1980・思文閣出版)』
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...