坂越庄(読み)さこしのしよう

日本歴史地名大系 「坂越庄」の解説

坂越庄
さこしのしよう

「しゃくし」ともよむ。千種ちくさ川の下流、坂越湾に面する現坂越、同川河口近くの現中広なかひろ一帯にあった庄園。「和名抄」に載る赤穂郡坂越郷を継承する。坂越庄は仁平元年(一一五一)と推定される平信範書状案(兵範記仁平二年巻裏文書)にみえるのが早く、同年と推定される某書状では「摂政殿御領播磨国坂越・大江嶋御庄」とあり(陽明文庫蔵行親記長暦元年巻裏文書)、平信範が摂関家領坂越庄の預所であった。彼の日記「兵範記」には「(三池カ)・坂越庄々問男、各四五艘沙汰献」とみえ、坂越浦が湊として発達をとげていたことがわかる(仁安三年八月一五日条)。もっとも仁平四年には藤原教長に預けられたことが知られるから(「台記」同年五月一八日条)、保元の乱までの二年間は預所職はいったん信範の手を離れていたことになる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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