坂越村(読み)さこしむら

日本歴史地名大系 「坂越村」の解説

坂越村
さこしむら

[現在地名]赤穂市坂越

東は釜崎かまさき半島の尾根沿いに半島南端まで内海側を占め、南西は尾崎おさき村、南は播磨灘に開ける坂越湾、北はほぼ南西に流れる千種ちくさ川に接する。同川沿いに姫路街道が走る。八祖やそ山の北麓にある高谷たかや高瀬舟の発着場で、上流から穀類・木材・薪炭が積下ろされ鳥井とりい峠越で浦方へ運ばれた。鳥井坂入口に木戸門があった。浦は湾西側の黒崎くろさき半島の突端とその南の丸山まるやま岬の間にある。湾内にはいき島となべ島が浮ぶ。往古よりの天然の良港で海運・漁業の基地として栄えた。古代坂越郷(和名抄)中世坂越庄の遺称地。

正保郷帳に村名がみえ田高一二石余・畑高三三三石余。柴草山・新田あり。宝永三年(一七〇六)の指出帳では高四七七石余。社家一二、大工八(うち船大工二)・医者一・鍛冶一・紺屋二。百姓家数三三五・人数一千九六七、丸馬一五・乳牛九。漁師株七・網子一五〇、年により付鯔あり。敷網漁で四分一は運上、つぼ網七ヵ所。船数一〇〇(うち一三端帆以上一七)、酒株二、類族一一。天保九年(一八三八)の諸事覚(花岳寺文書)によれば家数六四四・人数二千三六四、牛一三。船数一二〇(うち一三端帆以上三)、船宿三〇。坂越湾と海岸まで迫る後背連山との間の狭い土地のため水に乏しく、飲水は川から担って水瓶に入れたり、各地区の共同井戸が利用された。坂越三井戸とは大道だいどう井、生島のふな井、海雲かいうん寺の寺井をいい、ほかに小島こじま地区や出航する廻船の飲料水に使われた弘法の井戸があったという。氏神は大避おおさけ神社。

司馬江漢は天明八年(一七八八)に赤穂へ立寄り、坂越について「船着なり、商家軒を並て能処なり、町の後ろは山なり、山に観音堂アリ」(江漢西遊日記)と記す。安永五年(一七七六)四月一二―二一日の一〇日間を記した坂越浦入船控帳(佐方家蔵)によれば、肥前・筑後・豊前・豊後・岩見・長門・周防・安芸・備後・備中・備前・播磨・摂津・和泉・紀州・尾張の三〇―一千石積の船九一艘が入湊し、うち東への上り船四割、西への下り船五割で塩積みに入湊、そのほか商用。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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