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坂額 はんがく

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朝日日本歴史人物事典の解説

坂額

生年:生没年不詳
鎌倉前期の武家の女性。城資盛のおば。板額とも。建仁1(1201)年,越後(新潟県)で鎌倉幕府に反旗を翻した資盛は,4月拠城鳥坂城を越後,佐渡,信濃3国の武士に囲まれる。城中にあった坂額は「百発百中の芸」を持つ弓矢の名手で,人々はこれを「奇特」としていた。童のように髪を上げ,腹巻を着した坂額が矢倉の上から襲来する敵を射ると,これに当たって死なない者はなかったと『吾妻鏡』は表現する。しかし坂額は傷を被って生け捕りになり,資盛は敗北した。源頼家の前に引き出された坂額を一目見ようと御家人が市をなし,阿佐利義遠に望まれて婚姻したとされる。鎌倉前期まで,武勇をもって鳴らした武家の女性がいたこと,武勇が女性の婚姻にとって望ましい条件であったことが知られる。

(田端泰子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

坂額
はんがく

生没年不詳。鎌倉初期の勇婦。板額とも書く。越後(えちご)国の城九郎資国(じょうくろうすけくに)の女(むすめ)。生来力が強く、弓をよくした。『吾妻鏡(あづまかがみ)』によれば、1201年(建仁1)甥(おい)の城小太郎資盛(すけもり)が叔父の仇(あだ)を報ずべく源頼家(よりいえ)に対して挙兵した際、その陣頭にたって奮戦した。髪を束ねた童形で強弓を引き、女性の身ながら百発百中で、佐々木盛綱(もりつな)の軍勢に多大の被害を与えたが、背後を襲われて捕らえられた。頼家はその勇を聞いて引見し、浅利義遠(あさりよしとお)は勇婦を得て勇士を生みたいと頼家に請い妻とした。美貌(びぼう)であったが、後世、『吾妻鏡』の表現を取り誤って醜女の代名詞となった。庶民に人気があり、江戸時代には浄瑠璃(じょうるり)『和田合戦女舞鶴(わだかっせんおんなまいづる)』の二段目「板額門破(もんやぶり)」などで親しまれた。[田中博美]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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