日本大百科全書(ニッポニカ) 「坂額」の意味・わかりやすい解説
坂額
はんがく
生没年不詳。鎌倉初期の勇婦。板額とも書く。越後(えちご)国の城九郎資国(じょうくろうすけくに)の女(むすめ)。生来力が強く、弓をよくした。『吾妻鏡(あづまかがみ)』によれば、1201年(建仁1)甥(おい)の城小太郎資盛(すけもり)が叔父の仇(あだ)を報ずべく源頼家(よりいえ)に対して挙兵した際、その陣頭にたって奮戦した。髪を束ねた童形で強弓を引き、女性の身ながら百発百中で、佐々木盛綱(もりつな)の軍勢に多大の被害を与えたが、背後を襲われて捕らえられた。頼家はその勇を聞いて引見し、浅利義遠(あさりよしとお)は勇婦を得て勇士を生みたいと頼家に請い妻とした。美貌(びぼう)であったが、後世、『吾妻鏡』の表現を取り誤って醜女の代名詞となった。庶民に人気があり、江戸時代には浄瑠璃(じょうるり)『和田合戦女舞鶴(わだかっせんおんなまいづる)』の二段目「板額門破(もんやぶり)」などで親しまれた。
[田中博美]