坊床山
ぼうとこやま
東比田と伯太町上十年畑の境にあり、標高七三五メートル。伝説によれば弘法大師空海が弘仁九年(八一八)に真言宗の道場として開いたという。尼子氏時代の様子を描くとされる富田城下町図(巌倉寺蔵)によれば、熊野権現社・南光坊・天徳院・式部房・大師堂・天水池・天龍院・法明院・不動坊・往古の本堂・金剛坊・西光院、築山(鐘撞堂跡)・泉水・元大師堂跡などが記載されており、山岳信仰の山であったらしい。尼子氏滅亡の際、兵火により焼亡したが、巌倉寺の住持覚道が再建を発願し、文政元年(一八一八)祖父谷村の百姓市衛門・松次郎らの協力により大師堂が再び開扉された。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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