日本歴史地名大系 「広瀬町」の解説
広瀬町
ひろせまち
- 島根県:能義郡
- 広瀬町
能義郡の西部に位置し、北は
古代には「出雲国風土記」に記す渡庄)で、年貢としておもに鉄を納めていた。承久の乱後、同庄地頭職は出雲守護佐々木氏に与えられ、佐々木泰清の時その子四郎義泰に譲られた。義泰は富田庄を名字の地とし富田氏を名乗り、建武政権下で有力な御家人として活動した。しかし観応の擾乱以後は伯耆の山名氏との関係を強め、反幕府方となった。
広瀬町
ひろせまち
寛文六年(一六六六)の
広瀬町
ひろせまち
広瀬町
ひろせちよう
外堀北方の津山(倉敷)往来の西側で、往来に沿って南北に発達した両側町。往来の城下出入口の町。東は東照宮御旅所土手を隔てて旭川、南は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報