垂木郷・垂木(読み)たるきごう・たるき

日本歴史地名大系 「垂木郷・垂木」の解説

垂木郷・垂木
たるきごう・たるき

南北朝期からみえる郷名。戦国期には垂木とも記される。現上垂木・下垂木付近に比定される。貞治元年(一三六二)とみられる一〇月一九日の西園寺実俊施行状(熊野速玉神社文書)などによると、実俊が紀州熊野山新宮造営料所としての遠江国吏務職にかかわる訴訟について室町幕府に伝達しており、造営料所三三郷のうちに「垂木郷 廿五石八斗九升四合」がみえる。現遊家ゆけの山崎家所蔵の鰐口銘には応永二七年(一四二〇)閏正月初吉日の年紀があり、「遠江州垂木天王宮」とみえる。垂木天王宮は現上垂木の雨桜あめざくら神社とされる。天文三年(一五三四)七月一三日には今川氏輝が垂木郷を興津正信の当知行分として安堵した(今川氏輝判物写「諸家文書纂」所収興津文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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