垂見村(読み)たるみむら

日本歴史地名大系 「垂見村」の解説

垂見村
たるみむら

[現在地名]三橋町垂見

蒲船津かまふなつ村の南、塩塚しおつか川南岸にある。北東下久末しもひさすえ村、西は北徳益きたとくます村・南徳益村(現大和町)。元亀―天正(一五七〇―九二)の頃垂見常陸介が守る垂見城があったといい、蒲船津城ともいわれた(南筑明覧)。「北肥戦誌」「普聞集」などによれば、天正一二年九月豊後大友氏方の軍勢山下やました(現立花町)の蒲池鎮運らを攻撃した際、垂見城には一時龍造寺氏方に帰参していた田尻鑑種が入った。同一五年九月二日、立花統虎(宗茂)は垂見村のうち「五十町」の代官職を安東津介に預け(「立花統虎代官職預ケ状」安東家文書)、一二月一日には垂見村役給として三町五反(うち屋敷一反二丈)を同人に宛行っている(「立花統虎知行宛行状」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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