垣根村(読み)かきねむら

日本歴史地名大系 「垣根村」の解説

垣根村
かきねむら

[現在地名]銚子市垣根町・垣根見晴台かきねみはらしだい

松岸まつぎし村の北西方、利根川右岸に位置し、銚子道が通る。松岸村境をさかい川が流れる。応安七年(一三七四)の海夫注文(香取文書)に「かきねの津」とみえ、千葉氏一族海上氏の知行分であった。天正一八年(一五九〇)松平伊昌領となり、年未詳の松平氏領書上(宮内家文書)では垣根村六八石余。元和三年(一六一七)の柑子木数帳(谷本家文書)では「かきね」の両福寺が三本、金剛院一本の柑子木を植えていた。元禄一三年(一七〇〇)頃の下総国各村級分では高七三石余で幕府領。宝永六年(一七〇九)上野高崎藩領となり、高七八石余のうち海高一四石(沢井家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...

五月晴れの用語解説を読む