城井谷
きいだに
城井川の河谷の呼称。「城井」は本来仲東郷城井(現犀川町木井)をさしたが、城井氏を名乗った宇都宮惣領家が城井川上流・中流域の寒田・伝法寺本庄・桑田郷一帯に移転したのに伴い寒田から赤幡・安武に及ぶ一帯を城井・城井谷とよぶようになった。明応一〇年(一五〇一)二月一六日の大内義興書下(佐田文書/熊本県史料 中世篇二)によると、同月九日に大友方の城井日向守(直重)以下残党が籠る「築城郡本庄城」が大内方に攻略されたが、この城を永正二年(一五〇五)七月日の佐田泰景軍忠状(同上)は「城井城」と述べている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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