日本歴史地名大系 「城後村」の解説 城後村じようごむら 大分県:直入郡直入町城後村[現在地名]直入町上田北(かみたぎた) 城後・荻原(おぎわら)・立石(たていし)二俣(ふたまた)村の東、芹(せり)川支流の城後川中流域に位置。村名は田北氏本城の松牟礼(まつむれ)城の支城があった城(じよう)山の背後に位置したからという。田北氏の祖親泰が嘉禎二年(一二三六)父大友親秀から所領を譲与され、翌三年安堵の将軍家下文に「城後」がみえる(「大友田北氏系図」田北赳夫本)。明応二年(一四九三)から同五年頃と推定される八月六日の大友材親知行預ケ状写(田北憲明文書)に「田北村之内城後分」とみえ、材親は田北氏庶流の田北将鑑(繁胤)に城後分ほかを与えている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by