城郡
うばらきぐん
「和名抄」刊本郡部に「茨城牟波良岐国府」とある。大化改新前は茨城国と称した。「常陸国風土記」は「茨城の郡東は香島の郡、南は佐我の流海、西は筑波山、北は那珂の郡なり」と四至を記し、黒坂命の賊征伐に際し「茨蕀を穴の内に施れ、即て騎の兵を縦ちて、急に逐ひ迫めしめき。佐伯等、常の如土窟に走り帰り、尽に茨蕀に繋りて、衝き害疾はれて死に散けき。故、茨蕀を取りて、県の名に着けき」、また「黒坂命、此の賊を規り滅さむと、茨をもちて城を造りき。この所以に、地の名を便ち茨城と謂ふ」と二種の地名説話を述べる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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