埴岡北条(読み)はにおかほうじよう

日本歴史地名大系 「埴岡北条」の解説

埴岡北条
はにおかほうじよう

「はにおかきたじょ」ともいう。応永一六年(一四〇九)九月四日の足利義持御判御教書(赤松春日部文書)によると、室町幕府将軍足利義持は、亡父頼則の譲状に任せて赤松春日部家の次郎満則がその遺領を相続することを安堵しており、そのなかに「埴岡(北)条上下村」がある。年月日未詳の某大般若経渡状(法楽寺文書)によれば、埴岡北条の「若王子山王□社」が、社殿修営の資金調達のため、大般若経一部六〇〇巻を粟賀あわが庄の法楽ほうらく寺に二〇貫文で質入れしている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...

五月晴れの用語解説を読む