生野峠(読み)いくのとうげ

日本歴史地名大系 「生野峠」の解説

生野峠
いくのとうげ

神崎かんざき猪篠いざさ真弓まゆみとの間にある峠で、国道三一二号が通る。標高三二〇メートル。但馬国と播磨国の境で、中世には真弓峠とみえ、近世には但馬街道(生野街道)筋の峠として生野嶺とも記されるが、史料上の生野峠は播磨国側の追上おいあげ峠をさすのか、但馬国側の田和坂たわざか峠をいうのか、判別できない場合がある。「播磨国風土記」では生野は播磨国に属するので追上峠を称したと考えられるが、生野嶺は国境であって分水嶺である田和坂こそそれにふさわしいとする説もある(生野史)

〔中世―真弓峠〕

中世後期に少なくとも二度この峠付近で合戦があった。最初は文安元年(一四四四)一二月二〇日で、安芸国の国人毛利信賢の被官渡辺外記が、真弓当下(峠)の合戦において粉骨を致し、魚住十郎左衛門尉の頸をとった働きに対して、嘉吉の乱後播磨守護をも兼ねた山名持豊(宗全)が感状を与えている(毛利家文書)。真弓峠での合戦の細部を明らかにする史料はないが、この年一〇月赤松一族の満政が赤松家再興を目指して播磨で挙兵し、持豊も播磨に急行して満政を破った。右の合戦は持豊による赤松討伐戦の一環であったはずで、当時持豊は安芸守護をも兼ねており、毛利信賢も動員されたものであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「生野峠」の意味・わかりやすい解説

生野峠
いくのとうげ

兵庫県中部,朝来市の南端にある峠。標高 266m。瀬戸内海日本海分水界をなし,冬の天候がこの峠を境に一変することで有名。第2次世界大戦後,国道のつけ替えで現在の峠の位置は 4kmほど南に移った。

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