粟賀庄(読み)あわがのしよう

日本歴史地名大系 「粟賀庄」の解説

粟賀庄
あわがのしよう

摂関家渡領の庄園で、藤原氏の氏院である勧学かんがく(現京都市)領。庄内の村としてなか村・しも村があり、現中村なかむらに鎮座する埋田うめだ神社を惣社とする地域に比定される。仁治二年(一二四一)一〇月日の摂政近衛兼経寄進状(法楽寺文書、以下特記しないものは同文書)に粟賀庄とみえ、近衛兼経は法楽ほうらく寺に粟賀庄内脇本わきもとの荒野一所を寄進し、これを開発してその地利により毎年八月の引声不断念仏供料と九月晦日の一切経供養会料足に充て、現当二世の祈祷を求めている。天福元年(一二三三)八月一八日の預所藤原某田地寄進状によって、当時の粟賀庄預所が左衛門尉藤原某(その父は重宗朝臣)と推定できるが、どのような人物かについては不明。なお正応三年(一二九〇)粟賀庄は宝帳布(部屋をしきる帷)五段を負担しており(「宝帳布所進諸庄目録」近衛家文書)、某寺修理用途として二千疋が割当てられている(「某寺修理用途支配注文」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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