堀兼新田(読み)ほりかねしんでん

日本歴史地名大系 「堀兼新田」の解説

堀兼新田
ほりかねしんでん

[現在地名]所沢市神米金かめがね

神谷かみや新田の北にあり、同新田と境が錯雑する。入間いるま郡河越領堀兼村(現狭山市)の持添新田で堀金新田とも記される。享保期(一七一六―三六)開発の武蔵野新田の一で元文四年(一七三九)の南北武蔵野出百姓草分書出帳(東京都鈴木家文書)では家数二、幕府領。天保郷帳では高三九石余。慶応元年(一八六五)の長州戦争に際して幕府に二両を献金、同四年三月には新政府軍通行のため中山道大宮宿に人足二人を出している(明治元年「官軍先鋒賄方につき触書」北野天神社文書など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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