日本歴史地名大系 「堀尾時代松江城下図」の解説
堀尾時代松江城下図(堀尾時代城下図)
ほりおじだいまつえじようかず
一枚 一四二×一一七センチ(彩色)
成立 元和三年から寛永一〇年の間と推定
原本 島根大学附属図書館
解説 近世初頭の松江藩主堀尾吉晴・忠氏・忠晴三代の頃の松江城下絵図。北は現松江市奥谷町付近、西は宍道湖およびその北岸の国屋町付近、南は雑賀町付近、東は西川津町から西津田にかけての範囲に松江城下が描かれる。城下東部は大橋川の入江となっている。城下には侍町・町人町および寺社の区分がなされており、侍町の屋敷地には堀尾時代の家臣名が記される。町人町は区画のみで、町名や店名・人名の記載はないが、線が表す路地・仕切はかなり正確である。寺社については白潟の寺町を中心に記され、その後の移転などによる変化前の情景が知られるが、当て字で記される寺名も多い。松江城下についての絵図は各種伝わるが、城下の構造は堀尾時代の城下図からさほど大きくは変化していない。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報