日本歴史地名大系 「堀崎村」の解説 堀崎村ほりさきむら 埼玉県:大宮市堀崎村[現在地名]大宮市堀崎町・島町(しまちよう)大和田(おおわだ)村の北東に位置し、大和田片柳(おおわだかたやなぎ)支台の中央部に立地する。大部分が洪積台地上にあるが、南東から奥深く谷が入込んでいる。西は砂(すな)村。宮(みや)ヶ谷塔(やとう)村北方の鶴巻(つるまき)沼周辺の綾瀬(あやせ)、原市(はらいち)・瓦葺(かわらぶき)(現上尾市)・砂の三村に囲まれた北原(きたはら)の二ヵ所に持添新田がある。岩槻町へ通ずる道が東西に通り、村の東方で川越城下への道が分岐する。南部(なんぶ)領に属する(風土記稿)。綾瀬の開発は慶長(一五九六―一六一五)以前から行われており(明暦二年「沼論裁許状」小川家文書)、慶長一七年の堀崎村御検地水帳(飯島家文書)と同年の堀崎村新田御検地水帳(同文書)がある。本田検地帳は四冊のうち一冊が欠本であるが、同帳によれば田四町一反余・畑一四町八反余、名請人は二二人が確認される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by