日本歴史地名大系 「川越城下」の解説
川越城下
かわごえじようか
- 埼玉県:川越市
- 川越城下
〔草創期〕
天文六年(一五三七)河越城を攻略した小田原北条氏は、同一〇年の河越合戦、同一五年の河越夜戦に勝利して当地一帯を小田原北条氏の直轄領とし、城代に大道寺氏を配置した。小田原衆所領役帳に江戸衆として記される大道寺氏以下二二名は、河越城を支えた河越衆であったと考えられている。大道寺氏は城下町の整備に努め、永禄四年(一五六一)四月晦日、大道寺周勝は清田内蔵助に川越本宿の商人・問屋などの支配を命じている(「大道寺周勝条書」浄光寺文書)。年未詳の未一一月二〇日の大道寺政繁判物写(武州文書)では、政繁は川越本宿の頭人とみられる次原新三郎に命じ、清田庄左衛門・徒気原(次原)新兵衛など四名に唐人小路の道の補修・清掃、火の用心などに当たらせている。城下の職人については小田原衆所領役帳に「河越番匠 拾貫文」とみえ、年未詳二月二八日の北条氏伝馬手形写(武州文書)に「伝馬四疋可出之川越之鍛冶に被下」とみえる。「風土記稿」には天文―弘治(一五三二―五八)頃に相州から鍛冶職人が来住して川越
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報