堀工村
ほりくむら
[現在地名]館林市堀工・南美園町・分福町
南境を谷田川が東へ流れ、東に蛇沼、村央に茂林寺沼がある。東は赤生田村、西は青柳村、南は南大島村(現邑楽郡明和村)、北は小桑原村。延宝五年(一六七七)三月青柳村より分村したといわれるが、村内茂林寺境内の延享三年(一七四六)造立の結界石には分村前の村名「青柳村」が刻まれている。元禄郷帳に村名があり、幕府領。のち館林藩領となる。安政二年(一八五五)の「封内経界図誌」では田高二五二石余・二五町五反余、畑高三五九石余・五二町六反余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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