茂林寺(読み)モリンジ

デジタル大辞泉 「茂林寺」の意味・読み・例文・類語

もりん‐じ【茂林寺】

群馬県館林市にある曹洞宗の寺。山号は、青竜山応仁2年(1468)青柳城主赤井正光が建立開山は大林正通。のち、後柏原天皇勅願所となった。寺宝文福茶釜で有名。

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精選版 日本国語大辞典 「茂林寺」の意味・読み・例文・類語

もりん‐じ【茂林寺】

  1. 群馬県館林市堀工(ほりく)にある曹洞宗の寺。山号は青龍山。応仁二年(一四六八創建開基は赤井正光。開山は大林正通(だいりんしょうつう)。これより先、応永三三年(一四二六)守鶴が正通を招いて小庵を結んだのに始まり、千人法会に守鶴が持参したと伝えられる文福茶釜伝説名高い

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日本歴史地名大系 「茂林寺」の解説

茂林寺
もりんじ

[現在地名]館林市堀工

現館林市南端、茂林寺沼南西岸にある。青龍山と号し、曹洞宗。本尊釈迦牟尼仏。寺伝によると開山大林正通は美濃国土岐氏の出自で、修行のため諸国を行脚して上野国に来たとき、たまたま伊香保いかほ(現北群馬郡伊香保町)の麓で守鶴を知り、応永三三年(一四二六)守鶴を伴って当地に来住し一小庵を結んだ。応仁元年(一四六七)大林正通は相模国最乗さいじよう(現南足柄市)住職となった。翌二年青柳あおやぎ城主赤井照光はその徳を慕い一伽藍を建立してその開基となり、正通を開山とし寺領八万坪を寄進したという。大永二年(一五二二)には勅願所となった(同年一一月一二日「後柏原天皇綸旨」茂林寺文書)

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改訂新版 世界大百科事典 「茂林寺」の意味・わかりやすい解説

茂林寺 (もりんじ)

群馬県館林市にある曹洞宗の寺。山号は青竜山。開基は豪族赤井照光である。照光はかねてより禅に心を寄せていたが,小田原の最乗寺28世大林正通(だいりんしようつう)を開山に迎え,1468年(応仁2)当寺を創建した。1522年(大永2),当寺は朝廷から綸旨(りんじ)を受けて勅願所となり,江戸時代には23石余の朱印地を受けていた。数度の火災古文書類を失ったが,寺宝には文福茶釜の伝承をもつ茶釜がある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「茂林寺」の意味・わかりやすい解説

茂林寺
もりんじ

群馬県館林(たてばやし)市にある曹洞(そうとう)宗の寺。山号は青竜山(せいりゅうざん)。本尊は釈迦牟尼(しゃかむに)仏。1468年(応仁2)青柳(あおやぎ)城主赤井正光(まさみつ)が建立、最乗寺の僧大林正通(だいりんしょうつう)を開山とした。1522年(大永2)には後柏原(ごかしわばら)天皇の勅願寺となる。江戸時代の朱印地は23石余。分福茶釜(ぶんぶくちゃがま)の伝説で知られる寺で、正通の従僧守鶴(しゅかく)が大法要のため出してきた茶釜の湯はいくら汲(く)んでも尽きることなく、福を分かつ分福茶釜と名づけられて有名になった。守鶴はムジナが化けたものとの伝説から、江戸時代におとぎ話にもなり、宝物館には分福茶釜、一花千金の牡丹(ぼたん)として有名な明(みん)国の舜挙(しゅんきょ)筆の花鳥墨画など寺宝多数がある。

[中山清田]

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