日本歴史地名大系 「堀留町二丁目」の解説 堀留町二丁目ほりどめちようにちようめ 東京都:中央区旧日本橋区地区堀留町二丁目[現在地名]中央区日本橋堀留町一丁目堀留町一丁目の東に続き、北は大伝馬(おおでんま)町二丁目、東は人形町(にんぎようちよう)通に面し、南は堀江(ほりえ)町一丁目・新材木(しんざいもく)町・庄助(しようすけ)屋敷および杉森(すぎのもり)稲荷(現椙森神社)。東堀留川、すなわち思案(しあん)橋からの入堀の堀留にあり、堀留通と二つの横丁により三丁に分れている。明暦三年(一六五七)の新添江戸之図には「まき町」とある。また下舟横町と称していたのを享保五年(一七二〇)堀留町二丁目と改称したともされる(東京府志料)。だが同一〇年の分間江戸大絵図でも「マキ丁」とあり、同一四年の万世町鑑では堀留町二丁目とみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by