日本歴史地名大系 「堂屋敷村」の解説 堂屋敷村どうやしきむら 山形県:西村山郡大江町堂屋敷村[現在地名]大江町堂屋敷月布(つきぬの)川下流沿岸、集落は南岸の河岸段丘に位置し、北岸は低い段丘で耕地がある。東は猿田(さるた)沢を境として荻袋(おぎのふくろ)村、北は月布川を越して上北山(かみきたやま)村、南の猿田越を経て大谷(おおや)村(現朝日町)に至る道は、月布川上流の沢口(さわぐち)・貫見(ぬくみ)・月布諸村方面の青苧が、大谷村に送り出される道であった。堂屋敷の地名は、道智が堂を建てたことによるという。集落南に寺山(てらやま)という丘があり、その東端に道智屋敷(どうちやしき)があり、道智が住んでいたと伝える。近くに地蔵田(じぞうでん)の地名もあって、古い溜池や水田が残る。戦国期と思われる年未詳八月四日の田畠目録(澄江寺文書)に「大御所之分」として「六百苅 堂やしき」とあり、これは堂屋敷前(どうやしきまえ)とよばれる低位段丘上の耕地とみられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by