大江町(読み)おおえちよう

日本歴史地名大系 「大江町」の解説

大江町
おおえちよう

面積:九六・四六平方キロ

府の北西部にある。北部は鍋塚なべづか(七六三メートル)はとヶ峰(七四六メートル)・大江山(八三二・五メートル)などで宮津市・与謝郡加悦かや町、西から南はてんヶ峰(六三二・四メートル)おにじよう(五四四メートル)などで福知山市、東は湯舟ゆぶね(三六八・三メートル)山塊で舞鶴市、だけ(三六八・九メートル)などで綾部市に接する。

西南部から東北部に向かって由良川が流れ、町の中央を南流するみや川が河守こうもりで合流する。由良川流域も町の中心である河守・有路ありじ地区を除いては平野部はほとんどなく、山が迫ってわずかに河川敷程度が開けるにすぎない。


大江町
おおえまち

面積:一五三・八五平方キロ

西村山郡の中央部を占め、北と西は同郡西川にしかわ町、南は同郡朝日あさひ町、東は東村山郡山辺やまのべ町・中山なかやま町、寒河江さがえ市に接する。東端を最上川が北流し、町域北東端で楯山たてやま丘陵に突当って大きく曲流して東へ流路を変える。最上川支流の月布つきぬの川が西から東へ町域を貫流し、その流域の河岸段丘に集落が形成されている。山地は西部ほど高度が大で一〇〇〇メートルを超え、東に行くにつれて低くなって丘陵となる。最上川に沿って国道二八七号が通り、JR左沢あてらざわ線終着左沢駅がある。月布川沿いに左沢と西川町大井沢おおいさわを結ぶ大井沢街道は物資輸送の幹線で、大井沢トンネルが開通し整備が進められている。積雪は西に行くほど大となり、三メートルを超える豪雪地帯である。


大江町
おおえちよう

下京区東洞院通松原下ル

南北に通る東洞院ひがしのとういん(旧東洞院大路)を挟む両側町。町の北側は松原通(旧五条大路)、南側は万寿寺通(旧樋口小路)にも面する。

平安京の条坊では左京六条三坊四保一六町東側及び同四坊一保一町西側の地、平安中期以降は五条東洞院大路の南にあたる。

平安後期、当町の北側付近には、受領による京宅の蓄えの象徴として当時京中に著名であった、近江守隆時の「江州五倉ごうしゆうごそう」があった。江州五倉の記事は、「中右記」康和四年(一一〇二)三月二八日条に、「晩頭大宮権大夫五条東洞院家焼亡、是与近江守隆時朝臣同宿之間也、放火云々、家中雑物文書等一物不残、江州五倉皆以為也」とあり、藤原秀仲の五条東洞院家とともに、放火で全焼したことがみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大江町」の意味・わかりやすい解説

大江〔町〕
おおえ

山形県中部,最上川中流域の支流月布 (つきぬの) 川沿いの町。寒河江市の西に位置する。 1954年本郷村と七軒村が合体し漆川村となる。 59年左沢 (あてらざわ) 町と合体し,大江町として成立。地名は大江 (たいこう) をなす最上川にちなむといわれる。中心集落は,東部の月布川,最上川の合流点付近の左沢で,江戸時代はカラムシ,明治期は生糸の集散地として栄えた。米作を主とし,山すそや傾斜地を利用した果樹栽培が行われる。繊維産業も盛ん。南西端の小朝日岳山麓一帯は磐梯朝日国立公園に属する。左沢は JR奥羽本線の山形とを結ぶ JR左沢線の終点。面積 154.08km2。人口 7646(2020)。

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