堂島新地中二丁目(読み)どうじましんちなかにちようめ

日本歴史地名大系 「堂島新地中二丁目」の解説

堂島新地中二丁目
どうじましんちなかにちようめ

[現在地名]北区堂島どうじま二丁目

単に堂島中二丁目ともいう。堂島新地中一丁目の西に延びる両側町で、渡辺橋わたなべばし筋より一町分。大坂三郷天満組に属し、元禄一三年(一七〇〇)三郷水帳寄帳では屋敷数二四・役数二四役で、うち年寄分一役が無役。中期には「日本名産図会」の画を描いた法橋蔀関月がいた(大阪人名辞彙「大阪編年史」所収)。明和五年(一七六八)家質差配所一件関係者として今津屋与惣次が打毀に遭い、文政(一八一八―三〇)頃江戸三度飛脚問屋一がいた(大阪市史)。天保六年(一八三五)には備中岡田藩蔵屋敷があった(大坂袖鑑)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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