堂島新田村(読み)どうじましんでんむら

日本歴史地名大系 「堂島新田村」の解説

堂島新田村
どうじましんでんむら

[現在地名]河東町大田原おおたはら

南西は柏原かしわつぱら新田村。北方を日橋につぱし川が東から西へ流れ、村の北東の坂道東側にある古屋敷ふるやしき古墳は昭和四八年(一九七三)発掘された。元和八年(一六二二)の開村で、寛永二〇年(一六四三)の高一一石余、宝永三年(一七〇六)には四一石余となる(「御国中郡分村付組切覚帳」鈴木家文書)。代田組に属し、文化一五年(一八一八)の村日記では高四六石余。化政期の家数三(新編会津風土記)。明治四年(一八七一)の家数三・人数一六(人員録)。同八年柏原新田村・鴨田かもだ新田村・大和田おおわだ村と合併して大田原村となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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