日本歴史地名大系 「堂森村」の解説 堂森村どうもりむら 山形県:米沢市堂森村[現在地名]米沢市万世町堂森(ばんせいちようどうもり)・万世町牛森(ばんせいちよううしもり)・八幡原(はちまんばら)金谷(かなや)村の東、羽黒(はぐろ)川と天王(てんのう)川(梓川)に挟まれた標高三一一・二メートルの堂森山麓に立地。延文二年(一三五七)から応永五年(一三九八)頃までに記されたと推定される山寺立石(やまでらりつしやく)寺(現山形市)蔵の大般若経写経奥書に「置民郡屋代荘河井郷内堂森」とみえ、屋代(やしろ)庄に含まれていた。しかし延文二年一二月六日の日付が記された同寺の別の写経奥書中には「長井荘堂森新善光寺」とあり、この時期長井庄とよばれる地域内でもあった。近世初期の邑鑑に村名がみえ、高四一八石余、免四ツ九分、家数四四(うち役家一八、肝煎・小走一四)・人数一六六、役木として漆・桑をあげる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by