デジタル大辞泉
「米沢市」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
Sponserd by 
米沢市
よねざわし
面積:五四八・八九平方キロ
県の南東部に位置する。北が幅広く、南方にとがった菱形の米沢盆地を中心に市街地が開けている。同盆地は南境一帯の吾妻山系に源を発する松川(最上川上流部)・羽黒川(最上川支流)が平地に出て形成した北に緩く傾斜した扇状地で、当市は標高約二〇〇―三〇〇メートルに立地する。北には最上川に沿って平地が開けているが、東・南・西は山地に囲まれている。東には早坂山(五〇二・六メートル)、西には笹野山(六六〇・二メートル)・羽山(五三四・一メートル)、南には境界上の東大巓(一九二七・九メートル)・西吾妻山(二〇三五メートル)・西大巓(一九八一・八メートル)をはじめとする吾妻山系の高山が連なり、山麓に五色温泉・滑川温泉・姥湯温泉・大平温泉・白布温泉など吾妻十湯と称される温泉が散在し、磐梯朝日国立公園の一部をなしている。中央東寄りを北流する松川と、さらに東の山沿いに北流する羽黒川のほか、東端付近を天王川が北流し、当市北東端で松川に合流する。南西部からは大樽川・小樽川とその支流の小河川が中央西寄りを北流し、中央部北西で合流後鬼面川となり北東流する。東は福島県福島市、南は同県耶麻郡猪苗代町・北塩原村、喜多方市、西は耶麻郡熱塩加納村と西置賜郡飯豊町・東置賜郡川西町、北から北東は同郡高畠町に接する。
JR奥羽本線が南東から弓なりに市街東部をよぎり北東に抜ける。板谷・峠・大沢・関根・米沢・置賜の六駅がある。米沢駅から市街地南部を経て北西に川西町へ抜けるJR米坂線が通り、南米沢・西米沢・成島の三駅がある。市域中心部を起点に南東へは国道一三号とJR奥羽本線沿いの主要地方道板谷―米沢停車場線、南には西吾妻スカイバレー、南西の喜多方市へは小樽川沿いの国道一二一号、北にはJR米坂線に沿う国道二八七号をはじめ主要地方道三線が延びる。当市は中世以来の米沢城下を中核とし、米沢を市名に継承した。
〔原始・古代〕
市街地の東、松川東岸で米沢盆地東縁の山麓台地・低地は早くから開けた地で、市内の主要遺跡が散在する。南部の八幡原周辺遺跡群(堂森遺跡・比丘尼平遺跡・八幡堂遺跡など)は縄文時代早期から平安時代にわたる遺跡である。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 
米沢〔市〕
よねざわ
山形県南東部にある市。南部,東部は福島県に接する。市の東部は奥羽山脈,南部から西部にかけては吾妻連峰(→吾妻山)に属する山岳地帯。米沢盆地に位置し,吾妻連峰に源を発する梓川,羽黒川,松川,大樽川,小樽川の諸河川が市域を北流する。1889年市制。1953年上長井村,1954年万世村,広幡村,塩井村,六郷村,三沢村,窪田村,1955年山上村,上郷村,南原村をそれぞれ編入。地名の由来についてはアイヌ語ヨップネサワ(酋長のいる土地の意)から転訛したとする説など諸説がある。暦仁1(1238)年長井時広が築城,慶長6(1601)年以来上杉氏の城下町として発展。江戸時代中期藩財政の救済策として織物業が興り,米沢織(→置賜紬)として全国的に知られるようになった。現在も主要産業の一つである。日本の人絹織物業の発祥地としても知られる。企業誘致も進み,弱電,食品関係の工場が立地。東郊の八幡原には工業団地が造成されている。農村部では米作,果樹の栽培が行なわれる。文化財も多く,上杉家墓所のほかに,上杉治憲が師細井平洲を出迎えた普門院と羽黒神社の境内,道路敷が上杉治憲敬師郊迎跡として国の史跡に指定されている。また狩野永徳筆の『洛中洛外図屏風』(国宝)が市立上杉博物館に収蔵されている。南部は磐梯朝日国立公園に属し,小野川,白布(しらぶ),五色,滑川,姥湯などの温泉郷があり,観光保養地。山形新幹線,JR奥羽本線が通り,JR米坂線を分岐し,国道13号線,121号線,287号線が交差する交通の要所。面積 548.51km2。人口 8万1252(2020)。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
Sponserd by 