朝日日本歴史人物事典 「塚本明毅」の解説
塚本明毅
生年:天保4.10.14(1833.11.25)
幕末の幕臣,明治前期の海軍軍人,地誌学者。江戸下谷山下に生まれる。長崎海軍伝習所の第1期生で,海上勤務が多く,元治1(1864)年9月には,水戸藩の激派を艦砲射撃した。幕府が瓦解すると,榎本武揚の艦隊には参加しないで,静岡藩徳川氏の沼津兵学校頭取になる。明治5(1872)年,新政府の太陽暦への変更事業を指揮して十数日で完了する偉才ぶりを発揮する。これより正院,太政官,内務省を転々として,3種の暦法による暦日対照表『三正綜覧』(1880)の編纂に当たる。また,詳細な地誌『皇国地誌』の編纂を指揮したが,未完に終わった。容姿は魁偉で,数理に明敏であった。<著作>『大日本国全図』『日本地誌提要』<参考文献>石田竜次郎『日本における近代地理学の成立』
(秋元信英)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報