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塚本明毅 つかもと あきたけ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

塚本明毅 つかもと-あきたけ

1833-1885 幕末-明治時代の武士,官吏。
天保(てんぽう)4年10月14日生まれ。安政2年開設の長崎海軍伝習所に第1期生として入所,のち軍艦頭並(なみ)。維新後,沼津兵学校頭取,陸軍兵学大教授をつとめ,太政官地誌課長となって明治5年12月の改暦事務を担当,また「日本地誌提要」を編集した。明治18年2月5日死去。53歳。江戸出身。字(あざな)は桓甫。号は寧海。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

塚本明毅

没年:明治18.2.5(1885)
生年:天保4.10.14(1833.11.25)
幕末の幕臣,明治前期の海軍軍人,地誌学者。江戸下谷山下に生まれる。長崎海軍伝習所の第1期生で,海上勤務が多く,元治1(1864)年9月には,水戸藩の激派を艦砲射撃した。幕府が瓦解すると,榎本武揚の艦隊には参加しないで,静岡藩徳川氏の沼津兵学校頭取になる。明治5(1872)年,新政府の太陽暦への変更事業を指揮して十数日で完了する偉才ぶりを発揮する。これより正院,太政官,内務省を転々として,3種の暦法による暦日対照表『三正綜覧』(1880)の編纂に当たる。また,詳細な地誌『皇国地誌』の編纂を指揮したが,未完に終わった。容姿は魁偉で,数理に明敏であった。<著作>『大日本国全図』『日本地誌提要』<参考文献>石田竜次郎『日本における近代地理学の成立』

(秋元信英)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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