リスト(読み)りすと(英語表記)Benjamin List

日本大百科全書(ニッポニカ) 「リスト」の意味・わかりやすい解説

リスト(Friedrich List)
りすと
Friedrich List
(1789―1846)

ドイツの経済学者。ウュルテンベルク公国の帝国都市ロイトリンゲン市のなめし革匠の家に生まれる。チュービンゲン大学教授として当時のウュルテンベルク憲法論争に参加、進歩的言動で当局ににらまれて辞職、1819年ドイツの分立状態を克服し経済的統一を目ざす「ドイツ商工業同盟」を指導したが、オーストリアの宰相メッテルニヒに迫害されて挫折(ざせつ)、新憲法下の立憲議会に立候補、当選したが、急進的立場のために政府に逮捕され、25年アメリカに亡命した。アメリカでは炭鉱経営者として成功し、1827年ペンシルベニア商・工業者層の利害を反映した『アメリカ経済学綱要』Outline of American Political Economyを公刊し、名声を得た。これはアメリカ経済学史上、制度学派の先蹤(せんしょう)として重要な位置を占めている。

 1830年七月革命を機にリストはハンブルク駐在のアメリカ領事となって帰国、鉄道建設に努力した。ライプツィヒ―ドレスデン鉄道はその一成果である。彼の鉄道論はドイツ国内市場形成のリスト構想にとって基礎的な重要性を有するものである。リストはその構想を実現すべく34年南西ドイツの産業資本の利害を反映する「ドイツ関税同盟」を結成し、中心人物の1人となって活躍したが、ライン工業地帯を支配するに至ったプロイセンとの争覇戦に敗れ、最後の構想である「英独同盟論」もイギリス政府の拒否にあってつぶれてからは、積年の亡命・流浪・遍歴の生活による神経的疲労と厭世(えんせい)感にさいなまれて、イタリアへの療養の旅の途中、ドイツとの国境の町、クフシュタインでピストル自殺を遂げた。46年11月30日早朝のことであった。

 リストの主著は、1841年に刊行された『経済学の国民的体系』Das nationale System der politischen Ökonomieである。これは、当時支配的な学説であったイギリス古典学派の経済学、とくにアダム・スミスおよびそのフランス版J・B・セーの全面的批判を意図したものであった。ドイツ産業資本の主導下にドイツ国民経済の確立を図ろうとする政策路線を推進したリストにとって、イギリス古典学派の自由貿易論は、すべての国民経済に妥当するという一般理論の名目でイギリス産業資本の利害を貫徹する思想にみえたのであって、リストはドイツの国益を防衛すべく保護関税貿易理論を本書で展開したのである。その構成は、自らの生産力理論を要約した「緒論」、第一編「歴史」(近代資本主義発達史)、第二編「理論」(古典学派批判と生産力論の展開)、第三編「学説」(批判的経済学史)、第四編「政策」(ドイツをはじめ後進諸国の保護貿易政策論)、さらに自らの半生を回顧しつつドイツの現状を批判した「序文」を付す形になっている。リストのドイツ国民経済確立論は、統一的国内市場の形成を基盤とするものであったが、それにはドイツ諸邦の分立を支える封建的な土地制度の打破が必須(ひっす)の要件であり、晩年のリストは自らの構想実現の最終の環として封建的土地所有の廃止、その土台である村落共同体の解体、近代的な独立自営農民の創出を目ざす農地改革を主張する『農地制度論』Die Ackerverfassung, die Zwergwirtschaft und die Auswanderungを1842年に発表した。ただ、リストは、近代資本主義形成史上で決定的な役割を演じたイギリスの独立自営農民層ヨーマンリーの意義は正確に認識していたが、当面の敵プロイセンの国力を支えるユンカー地主階級の実態把握について不十分であったことが、本書のうちにもうかがわれ、晩年のリストの失脚も予知できるものがある。なお、『リスト全集』はナチス治下に刊行され、A・ゾムマーをはじめとする編集者が種々苦労をなめたことは、リストの思想の今日的評価につながるといってよいであろう。

住谷一彦

『正木一夫訳『アメリカ経済学綱要』(1942・改造社/1966・未来社)』『小林昇訳『経済学の国民的体系』(1970・岩波書店)』『小林昇訳『農地制度論』(岩波文庫)』『『小林昇経済学史著作集Ⅵ~Ⅷ フリードリッヒ・リスト研究(1)~(3)』(1978~79・未来社)』『大河内一男著『スミスとリスト』(1943・日本評論社)』『『大河内一男著作集Ⅲ スミスとリスト』(1969・青林書院新社)』『高島善哉著『経済社会学の根本問題』(1941・日本評論社)』『板垣与一著『政治経済学の方法』(1951・勁草書房)』『住谷一彦著『リストとヴェーバー』(1969・未来社)』『松田智雄著『ドイツ資本主義の基礎研究』(1967・岩波書店)』


リスト(Benjamin List)
りすと
Benjamin List
(1968― )

ドイツの有機化学者。フランクフルト・アム・マイン生まれ。1993年ベルリン自由大学卒業、1997年ヨハン・ウォルフガング・ゲーテ大学フランクフルト・アム・マイン(フランクフルト大学)で博士号取得後、渡米し、スクリプス研究所で博士研究員として研究を始めた。1999年スクリプス研究所の助教授に就任。2003年にドイツに帰国し、マックス・プランク石炭研究所教授となった。2005年からマックス・プランク石炭研究所所長。2005年(平成17)学習院大学客員教授。2018年から北海道大学化学反応創成研究拠点(WPI-ICReDD(アイクレッド))の主任研究者、2020年(令和2)から同大学特任教授となった。

 身の回りの医薬品、化学製品などの多くは、化学合成によってつくられる。その化学合成に欠かせないのが、自らは構造を変えず、化学反応を促進する触媒である。化学合成でつくられる物質のうち、右手と左手のように、鏡に映すと同じように見えても、面対称となり実像は重ならないような化合物は「鏡像異性体」とよばれ、どちらか一方を選択的に合成することが求められる。鏡像異性体は、構造は似ているが、性質はまったく異なっていて、どちらか一方は有益であるが、他方は生体に有害になることが少なくないからである。鏡像異性体のどちらか一方を選択的に合成することを「不斉合成」とよび、それに用いる触媒(不斉触媒)をどう選ぶかが注目されていた。リストは、この不斉触媒の研究で、従来にない画期的な成果をあげた。

 1990年代まで、不斉触媒は、生体内で作用する酵素(タンパク質)と、金属錯体を用いた触媒(金属触媒)しかなかった。何百ものアミノ酸が連なる酵素は、生体内で、安全に化学合成にかかわり、生体分子をつくりだすが、人工的につくるのはむずかしかった。一方、金属触媒は人工的には製造しやすいが、湿気や酸素に弱く、産業化には大量の重金属を使うため、廃棄する際には環境に有害になるという欠点があった。

 これを解消したのが、リストらである。金属触媒と同じ働きをもち、金属を使わない「有機触媒」を開発し、2000年2月に発表した。リストはもともと、タンパク質の一種で、生体内の免疫反応に関係する「抗体触媒」に着目し、別々の分子の炭素結合を促す「アルドール反応」の研究を行っていた。巨大なタンパク質である抗体が、触媒として作用する際、反応を促すのはほんの一部であることをつかみ、抗体の結合部位にあるアミノ酸「プロリン」に着目。さまざまな実験を続けた結果、プロリンは、アルドール反応だけでなく、不斉合成にも有効な触媒であることをつきとめた。実は1970年代に、プロリンが不斉触媒になる可能性を示唆した論文はあったが、その後、研究がされなかった。プロリンは、金属触媒や酵素に比べ、構造が簡単で、製造しやすく、安価で環境にやさしいという利点がある。合成反応の工程を著しく短縮させ、多くの医薬品、化学物質の合成に応用されている。

 ほぼ同時期の2000年1月に、アメリカのプリンストン大学教授(当時)のデービッド・マクミランらも同様に、金属を含まない新たな不斉触媒「有機分子触媒organocatalysis」を開発し、発表した。二人の研究成果の発表以降、不斉有機触媒の研究は広がり、産業界でも化学製品、医薬品、農薬などの製造に幅広く使われるようになった。たとえば、抗インフルエンザ治療薬「タミフル」や、エイズ治療薬、抗うつ剤などの合成で、従来より少ない工程で製造されている。

 2009年トムソン・ロイター引用栄誉賞、2013年有機合成化学分野で、新しい方法論を開拓した研究者を顕彰する向山(むかいやま)賞、2016年ゴットフリート・ウィルヘルム・ライプニッツ賞を受賞、2018年ドイツ科学アカデミー会員となった。2021年「不斉有機触媒の開発」に貢献したとしてマクミランとともに、ノーベル化学賞を受賞した。

[玉村 治 2022年2月18日]


リスト(Franz von Liszt、刑法学者)
りすと
Franz von Liszt
(1851―1919)

ドイツの刑法学者。ギーセン、マールブルク、ハレ、ベルリンの各大学教授を歴任。作曲家フランツ・リストの従弟(いとこ)にあたる。ウィーンの名門の家に生まれ、ウィーン大学在学中イェーリングから法の目的思想、ワールベルクWilhelm Emil Wahlberg(1824―1901)から進化論的刑法観を学ぶ。これを基礎として独特の実証主義刑法学を築き上げ、これをひっさげて伝統的な古典学派の学者たちと論争を重ね、名実ともにドイツ近代学派の総帥となった。マールブルク大学での就任講演『刑法における目的思想』(1882)は「マールブルク大学綱領」ともよばれ、数ある彼の作品のなかでも、26版を重ねた『ドイツ刑法教科書』(1882)と並ぶ名著とされている。1881年ハレ大学教授ドヒョーAdolf Dochow(1844―1881)と組んで『全刑事法雑誌』を発刊。1889年オランダのハメルGerard Anton van Hamel(1842―1917)、ベルギーのプリンスAdolphe Prins(1845―1919)と共同して国際刑事学協会(IKV)を設立した。1902年ベルリン大学教授カールWilhelm Kahl(1849―1932)と協力して刑法改正事業の開始に端緒を与え、1909年に政府の刑法改正予備草案が公表されると、カール、リリエンタールKarl von Lilienthal(1853―1927)、ゴールトシュミットJames Paul Goldschmidt(1874―1940)と4人の連名で「対案」を発表するなど、その学界活動も群を抜いて華々しかった。

[西原春夫]


リスト(Charles Rist)
りすと
Charles Rist
(1874―1955)

スイス生まれのフランスの経済学者、銀行家。モンペリエ大学教授を経て、1920年以降パリ大学経済学・経済学史教授。フランス銀行副総裁(1926~29)、ルーマニア国立銀行顧問(1928)、オーストリア国立銀行顧問(1931)などを歴任し、1934年からは雑誌『経済評論』Revue d'économie politiqueの編集にもあたった。貨幣・金融問題について多くの著書があるが、C・ジードと共著の『経済学説史』Histoire des doctrines économiques(1909、第七版1947)がおそらくもっとも著名。

[早坂 忠]

『宮川貞一郎訳『経済学説史』(1936~38・東京堂出版)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「リスト」の意味・わかりやすい解説

リスト
List, Benjamin

[生]1968.1.11. フランクフルトアムマイン
ベンヤミン・リスト。ドイツの化学者。不斉有機触媒の開発により,2021年ノーベル化学賞(→ノーベル賞)をデービッド・マクミランと共同で受賞した。
1993年にベルリン自由大学で化学の学士号,1997年にフランクフルト大学で化学の博士号を取得した。同年,アメリカ合衆国のスクリップス研究所の博士研究員となり,1998年に助教に就任。2003年ドイツに戻り,マックス・プランク石炭研究所の研究グループ長となり,2005年同研究所所長に就任した。
スクリップス研究所時代に,体内で化学反応を促進する触媒抗体について研究し,酵素中の数個のアミノ酸だけが化学反応に関与すると考えた。2000年,アミノ酸の一種プロリンアセトンと複数の芳香族アルデヒドの間のアルドール縮合を促進する過程を説明した論文を発表。これにより,不斉合成には金属触媒が必要という常識を覆した。
リストとマクミランによって開拓された不斉有機触媒により,環境に有害な重金属を集中的に使用することなく,重要な分子を合成することが可能になった。また,左右対称の 2通りの形態がある分子(→光学異性体)で,いずれかの形態に望ましくない作用がある場合,従来の合成法では両方の形態が生成されるのに対し,不斉有機触媒反応を用いれば望ましいほうの形態を生成することができるようになった。

リスト
List, (Georg) Friedrich

[生]1789.8.6. ロイトリンゲン
[没]1846.11.30. クーフシュタイン
ドイツの経済学者。 1817年テュービンゲン大学の行政学教授。ウュルテンベルク憲法闘争への積極的参加と,ドイツ領邦間の関税撤廃,全ドイツ的関税制度設定を目指すドイツ商工業同盟結成 (1819) の指導者としての活動ゆえに官職罷免,デマゴーグとして禁固刑を宣告され,受刑後 25年アメリカに亡命。アメリカでは東部の工業家の主張する保護関税政策に同調,『アメリカ経済学綱要』 Outlines of American Political Economy (27) を著わす。 32年アメリカ市民 (領事) としてドイツに帰り,各地で鉄道網建設の宣伝,組織に尽力するが種々の妨害を受ける。 41年主著『国民経済学体系』 Das nationale System der politischen Ökonomieを公刊し,ドイツの工業化のための保護育成関税の理論的基礎づけを行なった。同書で展開されているイギリス古典派経済学批判は,歴史学派のスミス批判の原型となったもので,リストがしばしばドイツ歴史学派の先駆とされるのもそのためである。晩年"Zollvereinsblatt"を創刊 (43) ,ドイツの商工業者の代弁者たらんとし,またイギリスとの同盟を構想したが,健康・経済状態の悪化のなかで,旅先でピストル自殺をとげた。ほかに著書は『農地制度・零細経営および国外移住』 Die Ackerverfassung,die Zwergwirtschaft und die Auswanderung (42) ,『ドイツ人の政治的経済的国民統一』 Die politisch-ökonomische Nationaleinheit der Deutschen (45~46) がある。

リスト
Liszt, Franz von

[生]1851.3.2. ウィーン
[没]1919.6.21. ゼーハイム
ドイツの刑法学者。 1879年ギーセン大学教授,次いでマールブルク,ハレ,ベルリン各大学教授を歴任。 1908年プロシア代議士,12年以来帝国議会議員となる。新派刑法学の創始者として,刑法学を伝統的な法教義学から犯罪の原因や現象形態の研究に移行させた。応報刑の観念を排斥して,犯人の危険性を重視し刑罰のもつ教育的機能に立脚する刑事政策を提唱し,他方では人権保障の観点から刑法のマグナ・カルタ的機能を強調。また比較刑法学を基礎づけ,正法は既存法の発展傾向から得られると主張した。国際刑事学協会の創立や『全刑事法雑誌』 Zeitschrift für die gesamte Strafrechtswissenschaft (1881) の創刊に関与し,国際的にも多大の影響を及ぼした。牧野英一もその弟子の一人である。主著『ドイツ刑法教科書』 Lehrbuch des deutschen Strafrechts (81) ,『刑法講話』 Strafrechtliche Aufsätze und Vorträge (2巻,1905) 。

リスト
Liszt, Franz

[生]1811.10.22. ライディング
[没]1886.7.31. バイロイト
ハンガリーのピアニスト,作曲家。 K.チェルニーや A.サリエリに師事し,1824年にパリでデビュー以来,はなやかな人気に囲まれ,ピアニストとして最高の技巧によってヨーロッパ楽壇に君臨した。 42年ワイマールの宮廷楽長に就任,ワーグナーの『ローエングリン』を初演,47年演奏界から引退して作曲活動と後進の育成にあたった。また 60年以後は黒衣をまとって宗教生活に入った。作品は超人的なテクニックを要求する 12曲の『超絶技巧練習曲』,19曲の『ハンガリー狂詩曲』,6曲の『パガニーニによる大練習曲』『巡礼の年』,2曲の『ピアノ協奏曲』などのほか,リストが確立したといわれる交響詩では『レ・プレリュード』『マゼッパ』『ダンテ交響曲』『ファウスト交響曲』がよく知られている。また他の作曲家の作品をピアノ用に編曲したものや,宗教音楽,合唱曲も多い。

リスト

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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報