歌舞伎(かぶき)作者。本名吉村芳三郎。俳号其水(きすい)。江戸・日本橋の商家4世越前屋(えちぜんや)勘兵衛の長男に生まれる。14歳のとき柳橋で遊興中を発見され勘当される。下町の通人仲間と交わり茶番集を書いたり、貸本屋の手代となって諸書を乱読したのち、1835年(天保6)に5世鶴屋南北(つるやなんぼく)に入門して狂言作者となり勝諺蔵(かつげんぞう)を名のる。病気と家庭の事情で再三引退したのち、1841年に4世中村重助(じゅうすけ)の招きで再勤して二枚目格となって柴晋輔(斯波晋輔)(しばしんすけ)と名のり、1843年に2世河竹新七を襲名して立(たて)作者格となる。旧作の補綴(ほてい)や小説の脚色、一幕物の世話物などで活躍したのち、1854年(安政1)の『都鳥廓白浪(みやこどりながれのしらなみ)』で4世市川小団次に認められ、以後1866年(慶応2)に小団次が没するまで、彼のために講釈種(だね)の白浪物(しらなみもの)など生世話(きぜわ)狂言の傑作を次々と書いて不動の地位を築く。その間、安政(あんせい)の大地震以後は市村座の立作者として重年し、3世桜田治助(じすけ)、3世瀬川如皐(じょこう)と三座体制を維持する一方で、中村・森田両座の重要な新作をも引き受け八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍をした。
明治になってからも筆力は衰えず、小団次の遺児初世市川左団次をもり立てるとともに、新政府の方針をくむ若き興行師12世守田勘弥(もりたかんや)を助け、9世市川団十郎のためには史実に基づく「活歴劇(かつれきげき)」を、5世尾上菊五郎(おのえきくごろう)のためには明治の新風俗を写した「散切物(ざんぎりもの)」を書いて新境地を開拓した。1881年(明治14)に『島鵆月白浪(しまちどりつきのしらなみ)』を一世一代に引退して古河黙阿弥(ふるかわもくあみ)を名のるが、作者無人の劇界が黙阿弥の引退を許すはずがなく、死の直前まで新作を提供し続け、明治26年1月22日に78歳の生涯を終えた。門弟に3世新七、竹柴其水(たけしばきすい)、勝能進(かつのうしん)などがいる。
黙阿弥の作品は時代物、世話物、所作事あわせて約360にも及び、いずれにも力量を発揮したが、その真骨頂は講釈などに取材した生世話物にあった。代表的なものとして、小団次のために書いた『蔦紅葉宇都谷峠(つたもみじうつのやとうげ)』『鼠小紋東君新形(ねずみこもんはるのしんがた)』『網模様灯籠菊桐(あみもようとうろのきくきり)』『黒手組曲輪達引(くろてぐみくるわのたてひき)』『小袖曽我薊色縫(こそでそがあざみのいろぬい)』『三人吉三廓初買(さんにんきちさくるわのはつがい)』『八幡祭小望月賑(はちまんまつりよみやのにぎわい)』『勧善懲悪覗機関(かんぜんちょうあくのぞきからくり)』『曽我綉侠御所染(そがもようたてしのごしょぞめ)』『船打込橋間白浪(ふねへうちこむはしまのしらなみ)』のほか、5世菊五郎には『青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)』『梅雨小袖昔八丈(つゆこそでむかしはちじょう)』『新皿屋敷月雨暈(しんさらやしきつきのあまがさ)』『水天宮利生深川(すいてんぐうめぐみのふかがわ)』『四千両小判梅葉(しせんりょうこばんのうめのは)』『盲長屋梅加賀鳶(めくらながやうめがかがとび)』、9世団十郎・5世菊五郎には『天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)』、3世沢村田之助には『処女翫浮名横櫛(むすめごのみうきなのよこぐし)』(切られお富)などを書いた。なお、舞踊劇には『土蜘(つちぐも)』『茨木(いばらき)』『船弁慶』『紅葉狩(もみじがり)』などの代表作がある。
坪内逍遙(しょうよう)はこのような黙阿弥の業績全般を評して「真に江戸演劇の大問屋なり」と称賛している。その作風は、化政(かせい)期(1804~30)の4世鶴屋南北が完成した生世話をさらに洗練、古典化し、時代物の世界から完全に独立した講談、実録調の筋立てのなかに、勧善懲悪、因果応報の理が強調されている。ことに小団次と提携した白浪物の諸作には幕末の逼塞(ひっそく)した世相が反映されている。そして逃げ道のない袋小路に入ってしまった小悪党の心情をうたった、七五調の「厄払(やくはらい)」とよばれる感傷的で音楽的な台詞(せりふ)は近代人にも共感され、今日でも歌舞伎のもっとも上演頻度の高いレパートリーとなっている。
[古井戸秀夫]
『『黙阿弥全集』全20巻(1924~26・春陽堂)』▽『河竹登志夫解説『名作歌舞伎全集10~12 河竹黙阿弥集 1~3』(1968~70・東京創元社)』▽『河竹繁俊著『河竹黙阿弥』(1961・吉川弘文館)』
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
(諏訪春雄)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
1816.2.3~93.1.22
幕末~明治期を代表する歌舞伎作者。江戸日本橋生れ。本名吉村芳三郎。俳名其水(きすい)。別号古河黙阿弥。1835年(天保6)5世鶴屋南北に入門。勝諺蔵(げんぞう)・柴晋輔(しんすけ)をへて43年2世河竹新七を襲名し,立作者となる。安政~慶応期には4世市川小団次と提携して生世話物(きぜわもの),ことに白浪物の名作をうみ,一方では歌舞伎の音楽演出を進展させた。明治期には唯一の大作者として活歴物・散切物(ざんぎりもの)・松羽目(まつばめ)物なども手がけ,81年(明治14)引退を表明,「もとのもくあみ」になる意味で黙阿弥と改名したが,実際は最晩年まで執筆を続けた。「最後の狂言作者」「江戸歌舞伎の大問屋」とよばれ,作品数360余編。「黙阿弥全集」全28巻。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…通称《弁天小僧》《白浪五人男》。河竹黙阿弥作。1862年(文久2)3月江戸市村座で,弁天小僧を13世市村羽左衛門(後の5世尾上菊五郎),日本駄右衛門を3世関三十郎,南郷力丸を4世中村芝翫(しかん)らが初演。…
…通称《小猿七之助》。河竹黙阿弥作。1857年(安政4)7月江戸市村座初演。…
…世話物。河竹黙阿弥作。1875年(明治8)1月28日から東京新富座で,大岡越前守を5世坂東彦三郎,天一坊を5世尾上菊五郎,山内伊賀亮を初世市川左団次によって初演。…
…7幕。河竹黙阿弥作。別名題《梅柳桜幸染(うめやなぎさくらのかがぞめ)》。…
…明治10年代以降9世市川団十郎を中心に行われた歌舞伎の革新運動のなかで,旧来の荒唐無稽な時代物でなく,史実によって脚色し時代考証による扮装・演出に重きをおいた時代物の作品群をいう。団十郎のこの運動には1872年(明治5)に新劇場を新富町に建設して旧制度の打破を試みた興行師の12世守田勘弥,作者界の第一人者河竹黙阿弥らが協力した。〈活歴〉の語は,78年10月黙阿弥作の《二張弓千種重藤》が上演された際,〈時代物は活きたる歴史〉でなくてはならぬと依田学海らが述べたのに対し,《かなよみ新聞》で仮名垣魯文が〈活歴史〉と評したのにはじまるという。…
…8幕11場。河竹黙阿弥作。1862年(文久2)閏8月江戸森田座初演。…
…南北以前,上方の初世並木五瓶が,1794年(寛政6)に江戸へ下り,合理的作風をみせたこと,また,1792年11月江戸河原崎座の《大船盛鰕顔見世(おおふなもりえびのかおみせ)》で,4世岩井半四郎が切見世女郎の三日月おせんを演じたことなどは,南北の生世話を生み出す準備段階として注目される。南北以後,3世瀬川如皐(じよこう)から河竹黙阿弥へと至るうちに,市井の生活描写や演技・演出の写実化という面が継承され発展していくことになる。しかし,写実的傾向の拡大といっても,歌舞伎では下座音楽を使い,せりふのリズムや舞台の動きにおいても美化された様式は生きている。…
…通称《湯灌場吉三(ゆかんばきちさ)》《小堀政談》《天人香》。河竹黙阿弥作。1869年(明治2)7月東京中村座初演。…
…通称《湯殿の長兵衛》。河竹黙阿弥作。1881年(明治14)10月東京春木座初演。…
…6幕。河竹黙阿弥作。別名題《花菖蒲慶安実記(はなしようぶけいあんじつき)》《慶安太平記》。…
…7幕。河竹黙阿弥作。1881年3月東京新富座初演。…
…4幕。河竹黙阿弥作。通称《黒手組の助六》。…
…通称《十六夜清心(いざよいせいしん)》。河竹黙阿弥作。1859年(安政6)2月江戸の市村座初演。…
…別名題《三人吉三巴白浪(ともえのしらなみ)》,通称《三人吉三》。河竹黙阿弥作。1860年(万延1)1月江戸市村座で,和尚吉三を4世市川小団次,お嬢吉三を3世岩井粂三郎(のちの8世岩井半四郎),お坊吉三を初世河原崎権十郎(のちの9世市川団十郎),土左衛門伝吉を3世関三十郎らが初演。…
…その方法は,時代物だけではなく,世話物でも採用されて《実録の助六》《実録伊勢音頭》などが生まれた。1874年3月東京村山座初演の《夜討曾我狩場曙》をはじめとして河竹黙阿弥は次々に実録物を書いた。76年6月東京新富座初演の《実録先代萩》すなわち《早苗鳥伊達聞書(ほととぎすだてのききがき)》は《伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)》の実録化であり,83年10月新富座初演の《千種花音頭新唄(ちぐさのはなおんどのしんうた)》は《伊勢音頭恋寝刃》の実録化であった。…
…5幕。河竹黙阿弥作。通称《島鵆》《千太と島蔵》。…
…4幕。河竹黙阿弥作。通称《児雷也》。…
…3幕。河竹黙阿弥作。通称《魚屋宗五郎》《新皿屋敷》。…
…3幕。河竹黙阿弥作。通称《筆屋幸兵衛》。…
…6幕。河竹黙阿弥作。通称《御所五郎蔵(ごしよのごろぞう)》。…
…通称《酒井の太鼓》。河竹黙阿弥作。1873年3月東京村山座初演。…
…通称《文弥殺し》。河竹黙阿弥作。1856年(安政3)9月江戸市村座で,按摩文弥・提婆(だいば)の仁三を4世市川小団次,伊丹屋十兵衛を初世坂東亀蔵により初演。…
…4幕11場。河竹黙阿弥作。通称《髪結新三》。…
…通称《鼠小僧》。河竹黙阿弥作。1857年(安政4)1月江戸市村座初演。…
…通称《縮屋新助》《美代吉殺し》。河竹黙阿弥作。1860年(万延1)7月江戸市村座初演。…
…通称《鋳掛松(いかけまつ)》。河竹黙阿弥作。1866年(慶応2)2月江戸守田座初演。…
…通称《高時》。河竹黙阿弥作。1884年11月東京猿若座初演。…
…通称《忍ぶの惣太》。河竹黙阿弥作。1854年(嘉永7)3月江戸河原崎座初演。…
…通称《切られお富》。河竹黙阿弥作。1864年(元治1)4月江戸守田座で《若葉梅(わかばのうめ)浮名横櫛》として初演,同芝居が初日の翌日類焼したため,同年7月再開場に際して《処女翫浮名横櫛》と改題続演した。…
…通称《加賀鳶》。河竹黙阿弥作。1886年3月東京千歳座初演。…
…通称《夜討曾我》《敷皮の五郎》。河竹黙阿弥作。1881年6月東京新富座初演。…
※「河竹黙阿弥」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
送り状。船荷証券,海上保険証券などとともに重要な船積み書類の一つで,売買契約の条件を履行したことを売主が買主に証明した書類。取引貨物の明細書ならびに計算書で,手形金額,保険価額算定の基礎となり,輸入貨...
9/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新