テニソン(読み)てにそん(英語表記)Alfred Tennyson, 1st Baron Tennyson

日本大百科全書(ニッポニカ) 「テニソン」の意味・わかりやすい解説

テニソン
てにそん
Alfred Tennyson, 1st Baron Tennyson
(1809―1892)

イギリスの詩人。ロバート・ブラウニングとともにビクトリア朝のイギリス詩を代表する人物。1809年8月6日、リンカーンシャー、サマズビーの牧師館で生まれる。男8人女4人計12人のうちの4番目の子であった。父の牧師ジョージ・クレイトン・テニソン博士は教養学問もある人で詩も書いたが、父が自分を差し置いて弟を相続人とし、テニソンは意に反して聖職についたことで大きな不満を抱いており、心も生活もしだいにすさんでいった。優しく敬虔(けいけん)な母親エリザベス・フイッチは夫の所業に苦しんだ。このような家庭環境のうえに元来テニソン家に伝わる精神病質が加わって、若いころの彼の心に大きな影を投げかけた。彼の兄弟はすべて詩をつくったといわれ、1827年に兄チャールズと『二人兄弟の詩集』を出版したが、実際には兄フレデリックの作品も含まれている。1828年からケンブリッジ大学に学び、そこでA・H・ハラムArthur Henry Hallam(1811―1833)と知り合い、無二親友となり、ともにヨーロッパ大陸を旅行した。ハラムは1831年テニソンの妹エミリーと婚約したが1833年にウィーンで急死し、これが大作『イン・メモリアム』執筆の契機となったことはよく知られている。

 早くからの周囲の期待にもかかわらず、1830年と1832年に発表した詩集はあまり評判にならず、その後10年間の沈黙を強いられたのち、1842年の詩集によって初めて世評が確立した。これより前の1838年にエミリー・セルウッドと婚約したが財政上その他の理由で中断し、『王女』(1847)のあと『イン・メモリアム』(1850)で成功を収め、財政的にも立ち直ったあと、ようやく1850年に結婚した。ここで彼の半生にわたる苦難の時代が終わり、同年ワーズワースの後を受けて桂冠(けいかん)詩人に任命された。1855年の『モード』はやや不評であったが、アーサー王伝説を扱った『国王牧歌』(1859)は大成功で、これ以後、詩人としてすばらしい名声と最高の栄誉を受けることとなり、1883年にはビクトリア女王から男爵の位を授けられた。詩としては『イノック・アーデン』(1864)も高評を博した。その後『民謡詩集』(1880)、『ティレシアス』(1885)、『デーメーテール』(1889)、『オイノーネの死』(1892)というように、晩年に至るまで詩集の発表を続けた。このほか『女王メアリ』(1875)、『ハロルド』(1876)、『ベケット』(1884)などの劇を書き、そのいくつかは成功裏に上演された。このように功成り名遂げて1892年10月6日83歳で亡くなり、ウェストミンスター寺院に葬られた。

戸田 基]

『入江直祐訳『イノック・アーデン』(岩波文庫)』『三浦逸雄訳『テニソン新詩集』(1967・日本文芸社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「テニソン」の意味・わかりやすい解説

テニソン
Tennyson, Alfred

[生]1809.8.6. リンカーンシャー,サマズビー
[没]1892.10.6. サリー,ヘーズルミア
イギリスの詩人。ケンブリッジ大学在学中『ティンバクトゥー』 Timbuctoo (1829) で学長牌を獲得,『抒情詩集』 Poems,Chiefly Lyrical (1830) を出版。中退後,親友 A.ハラムとヨーロッパ大陸を旅行。『詩集』 Poems (1832) ,2冊版『詩集』 Poems (1842) ,『王女』 The Princess (1847) ,ハラム追悼の詩『イン・メモリアム』 In Memorium (1850) などを相次いで出版,1850年ワーズワスのあとをうけて桂冠詩人となった。その後も『モード』 Maud (1855) ,『国王牧歌』 Idylls of the King (1859) ,『イノック・アーデン』 Enoch Arden (1864) のほか,多くの詩劇を書いた。流麗な措辞と健全な倫理観によって,ビクトリア朝を代表する詩人と認められる。

テニソン
Tönisson, Jaan

[生]1868
[没]1941?
エストニアの政治家,言論人。 1905年国民自由党を創設,翌年ロシア国会 (→ドゥーマ ) 代議員に選出された。ロシア革命に際し,国外追放。亡命地で独立運動を指導した。 19~20年首相,赤軍を撃退。 27~28,33年大統領,31~32年外相を歴任。 40年ソ連軍に拉致され,行方不明。

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