塩市村(読み)しおいちむら

日本歴史地名大系 「塩市村」の解説

塩市村
しおいちむら

[現在地名]高砂市米田町塩市よねだちようしおいち中島なかじま二―三丁目・美保里みほのさと

中島村の北に位置し、竜山たつやま丘陵の東、あらい川右岸にあったが、現在は法華山谷ほつけさんたに川左岸に立地する。印南いなみ郡に属した。慶長国絵図に塩市とみえる。江戸時代を通じて姫路藩領。正保郷帳では田方二四六石余・畑方四三石余。宝暦七年(一七五七)の村明細帳(糟谷家文書)では高三五二石余、反別は田方一六町余・畑方四町二反余、新田畑高一四石余・反別七反余、家数一二八・人数六二七、石山一ヵ所、小物成として犬米・草藁銀があった。また扶持馬飼料米四斗二合が給されていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む