日本歴史地名大系 「高砂市」の解説 高砂市たかさごし 面積:三四・四〇平方キロ播磨地方の南東部に位置し、東は加古川市、西は姫路市に接し、南は播磨灘に面する。播磨平野のほぼ中央部にあたり市域はおおむね平坦で、北西部には高御位(たかみくら)山・日笠(ひかさ)山を中心とする丘陵、中央部には竜山(たつやま)丘陵があり、いずれも凝灰岩からなる。東端部を加古川が南流し、河口の西側付近に市街地が発達する。臨海部には機械・製紙・化学・食品・電力などの大工場が建並び、播磨工業地帯の中核を形成している。また工業地帯付近には高砂港・高砂西港・伊保(いほ)港などがあり、海の玄関口としての役割を果している。JR山陽本線が北部を横断し宝殿(ほうでん)・曾根(そね)の二駅が、山陽電鉄が南部を横断し高砂・荒井(あらい)・伊保・山陽曾根の四駅があり、山陽新幹線が中央を通過する。また国道二号・同二五〇号・姫路バイパス(国道二号)・明姫幹線(同二五〇号)が東西に走る。南東部の加古川河口西側に高砂海浜公園・向島(むこうじま)公園があり、白砂青松の往年の面影を残している。ほかに市内には高砂神社・石の宝殿(いしのほうでん)・十輪(じゆうりん)寺などの古社寺や史跡があり、観光地となっている。〔原始〕旧石器時代の遺跡は北部の鴻池(こうのいけ)遺跡A地点、西部の竜山遺跡・魚橋(うおはし)遺跡などがある。縄文時代では日笠山山麓に形成された日笠山(ひかさやま)貝塚がある。前期後半から晩期のキャンプサイトと考えられ、県下で二例目の埋葬人骨が発見された。また瀬戸内側では類例の乏しい四層に区分される貝層が確認されている。曾根町の塩田(しおた)遺跡では縄文時代晩期の土器と弥生時代前期の土器が重複している。調査された神爪(かづめ)遺跡は低位段丘に立地する弥生時代後期の遺跡である。古墳時代では砂堆上に立地する小松原(こまつばら)遺跡などがある。前期古墳は小規模ではあるが北部の経塚山(きようづかやま)古墳(前方後方墳)や、西部の竜山五号墳(前方後円墳)などがある。〔古代〕律令制下では賀古(かこ)郡の南部と印南(いなみ)郡の南西角の一部からなる。「和名抄」にみえる印南郡大国(おおくに)郷は現加古川市西神吉町大国(にしかんきちようおおぐに)が遺称地であるが、「播磨国風土記」印南郡大国里の条には現伊保町の伊保山やその北麓の生石(おうしこ)神社の石の宝殿のことが記載されている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「高砂市」の意味・わかりやすい解説 高砂〔市〕たかさご 兵庫県南部,加古川の三角州上にある市。播磨工業地域東部の拠点都市。姫路市と加古川市の間にあり,南は播磨灘に面する。 1954年高砂,曽根の2町と,荒井,伊保の2村が合体して市制。 56年阿弥陀村と米田町の一部,57年北浜村を編入。中心市街地の高砂は戦国時代末期,一時池田輝政の城下町,廃城後は加古川流域を後背地とした姫路藩の年貢米の集散地,港町として繁栄。明治末期,旧姫路藩の米蔵 (百間蔵) 跡に製紙工場が進出,次いで近世の干拓地に紡績,化学,加古川沿岸に汽缶,醤油,ガラス,第2次世界大戦後は金属,製鉄などの工場が立地し,大規模な埋立てによる播磨工業地域育成で重化学工業都市となった。その結果,謡曲『高砂』に歌われた白砂青松の浜辺は消失し公害が深刻化。名所高砂神社の夫婦松は5代目。石の宝殿は奇石として有名。市域中央を主要幹線鉄道,道路が横断する。面積 34.38km2。人口 8万7722(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by