夏吉村(読み)なつよしむら

日本歴史地名大系 「夏吉村」の解説

夏吉村
なつよしむら

[現在地名]田川市夏吉

北西に流れる彦山川右岸に位置し、南西ほしい村、南は下伊田しもいた村・上伊田村。南端秋月街道が通る。中世から江戸時代初期は夏焼なつやきと称し、寛永一〇年(一六三三)小倉藩主小笠原忠真が夏吉村と改称したというが(豊前村誌)元禄国絵図でも夏焼村と記される。元和八年人畜改帳では高一千四八四石余の「夏焼村」と無高の「同村新所」の二筆に分けて記され、夏焼村は家数一八〇・人数二九〇(うち百姓二二・名子三一・鍛冶一)、牛四六・馬三二、新所は家数二六・人数四九(うち「新所ノ者」四・名子八)、牛六・馬二。なお新所の地は当村最北端にあたる岩屋ごおや付近という。宝永七年(一七一〇)には本免四ツ三分、本高一千五二四石余・物成八二六石余、田一一六町八反余・畠一六町八反余、銀小物成二六八匁余、竈数七八・人数七五九、牛馬一一一(「村々万覚書」瓜生文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む