デジタル大辞泉
「田川市」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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田川市
たがわし
面積:五四・五二平方キロ(境界未定)
県の北東部、遠賀川上流域にあたる田川盆地に位置する。地質的にはかつての筑豊炭田の南部を形成した田川炭田の一部をなす。東は田川郡大任町・香春町、北は同郡方城町・糸田町、西は嘉穂郡庄内町、南西は山田市、南は田川郡川崎町に接するが、糸田町とは一部が境界未定。市域中央の北東寄りを彦山川が北西に向かって流れ、同川支流の金辺川が市域北東部を西流、中元寺川が市域西部を北流する。JR日田彦山線の田川伊田駅・田川後藤寺駅の周辺に市街地が形成され、前者は平成筑豊鉄道の伊田線と田川線の接続駅でもあり、後者からは同鉄道糸田線・JR後藤寺線が分岐する。北部を国道二〇一号が東西に走り、北東部から市の中心部を経て南西部へ抜ける国道三二二号はかつての秋月街道とほぼ重なる。
〔原始・古代〕
当市域の考古遺跡については田川郡を参照。古代律令制下から近代に至るまで、当市域は田川郡に属した。「和名抄」にみえる田川郡四郷のうち、位登郷は当市の位登を中心とした地域であろう。伊田の南東部、弓削田・位登・伊加利・夏吉などは水田・道路で縦横に区切られ、条里遺構がみられる。大宰府から豊前国府(現豊津町)へ通じる豊前路(田河道)が当市域を通る。伊田の鎮西公園内には七世紀末頃の創建で法起寺式伽藍配置をとる天台寺跡があり、出土した新羅系軒瓦は著名。
〔中世〕
当市域に成立していた庄園のうち、弓削田庄は鎌倉時代末期には法成寺(現京都市上京区)領となっている。このほか市域東部に近衛家(摂関家)領伊賀利庄があり、宇佐宮弥勒寺領として市域中東部に伊田別符、市域南西部に位登庄・金国保、市域北東部に夏焼名(のち安楽寺領夏焼庄)などが存在した。在地領主としては弓削田を名字の地としたと推測される弓削田氏が知られるほか、佐多系図(小松文書)にみえる伊加利氏が伊賀利庄を名字の地としていた可能性もある(「田川市史」など)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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田川〔市〕
たがわ
福岡県中部,遠賀川の支流中元寺川 (ちゅうがんじがわ) と彦山川 (ひこさんがわ) の流域にある市。 1943年伊田 (いた) ,後藤寺 (ごとうじ) の2町が合体して市制。 55年猪位金 (いいかね) 村の一部を編入。 1889年石炭採掘が本格的に開始され,筑豊炭田最大の炭鉱都市として発展。 1955年には東洋一といわれた伊加利竪坑 (深さ 695m) が建設され最盛期を迎え,炭鉱数 20,人口も 10万を数えた。「炭鉱節」の発祥の地として知られる。しかし 60年頃からの石炭産業の不振により急速に衰微,炭鉱も逐次閉山し市勢も衰えた。現在は 18年頃から採掘されている石灰石を基盤にセメント工業が行われている。また産炭地域振興事業により,工業団地を造成し,電話機,縫製,窯業,食品加工,自動車部品などの工場を誘致して,産炭地から工業都市へ脱皮しつつある。歴史の古い鷹羽焼,英彦山焼,三岳焼などの窯元がある。カルスト地形の岩屋公園は筑豊県立自然公園に属する。 JR日田彦山線,後藤寺線,平成筑豊鉄道,国道 201号線,322号線が通る。面積 54.55km2(境界未定)。人口 4万6203(2020)。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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