新所村(読み)しんじよむら

日本歴史地名大系 「新所村」の解説

新所村
しんじよむら

[現在地名]関町新所町

関宿の西に位置する東海道沿いの村。西端から大和街道が分岐する。将軍足利義持の伊勢参宮に際して、「花営三代記」応永二九年(一四二二)八月二五日の条に「御昼新所、関左馬助、長野、加太雲林院御雑掌申」とあり、翌九月一九日の帰途には「御昼新所、北方一揆」と記している。「九九五集」に「在家所々ニ有リテ九ケ所ニテ関賃ノ取申候、其比ハ関ヤノ村ト申候、其後家建続テ新所村ト改ル」とあるように、古くは鈴鹿関に由来して関屋野せきやのとよばれ、室町期には新関が設けられ、しだいに民家が建てられたという。文亀三年(一五〇三)の万松山永明禅寺懺法僧衆帳(瑞光寺蔵)にも新所がみられ、永禄五年(一五六二)の川上祠堂納(同寺蔵)の裏紙である慶松院分地納之本帳にも「在所新処宿ノうしろ 作人新処ニアリ」などとあるので、室町期には新所・新処とよばれて、地蔵院を中心に宿場が形成されたことが知られる。


新所村
しんしよむら

[現在地名]長島町新所

長島輪中の北端松之木まつのき村の東南にあり、木曾川西岸堤防沿いの村。開発年代は不明であるが「長島古今図考」に載せる江戸時代初期の長島古絵図によれば、杉江すぎえ村・上坂手かみさかて村・下坂手村・松之木村西川にしがわ村・高座こうざ村・平方ひらかた村といっしょで一曲輪を形成している。近世は長島藩領で、慶安郷帳(明大刑博蔵)に記載されている村である。

木曾川対岸の船頭平せんどひら(現愛知県立田村)への渡場があり、往復五銭で、長島藩士は無料。大きな榾柮木がありかぶきの渡とよんだ(長島細布)。文政七年(一八二四)家数四四、人数一九三。


新所村
にいどころむら

[現在地名]多久市東多久町ひがしたくまち別府べふ 仁位所にいどころ

唐津往還の別府町西端を仁位(新)所川が北から南へ流れ牛津川に合流する。この仁位所川に沿って形成された集落で、御制符(邑の直轄地)荒平あらびら山の西の谷、てん山の西山麓に位置する。

元文四年(一七三九)の二位所村田畠帳があり、「丹邱邑誌」の享保六年(一七二一)の「水火田村落宅地」では「別府村」に含まれて「新処」と記されている。

村内の小集落として同書の「郷村」に「新所村今仁位処ト云 一ノ瀬・中河原・上渋木」とあり、「別府三分」(→別府町の一つである。新所村の表記については、同書の撰者深江順房は、弘化四年(一八四七)頃の呼称として、「今仁位処ト云」と記しているが、同書の「戸口牛馬文政六年改定」では、現在の行政呼称「仁位所」と同一の文字が使用されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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