デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「多人長」の解説 多人長 おおの-ひとなが ?-? 平安時代前期の官吏。太(おおの)安麻呂の子孫。大同(だいどう)3年に従五位下となる。弘仁(こうにん)3年(812)から4年にかけて参議紀(きの)広浜ら十余名に日本紀講筵(にほんぎこうえん)(「日本書紀」の講義)をおこなった。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
世界大百科事典(旧版)内の多人長の言及 【多氏】より …また後に863年(貞観5)に臣姓より宿禰(すくね)に改められた者もある。有名な人物としては,壬申の乱で大海人皇子(おおあまのおうじ)方について活躍した多品治,《古事記》を編纂した太安麻呂,813年(弘仁4)の《日本書紀》講読の講師をつとめた多人長などがいる。のち平安時代以後宮廷の雅楽をつかさどる楽家として重きをなした。… ※「多人長」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」 Sponserd by