講義(読み)こうぎ

精選版 日本国語大辞典「講義」の解説

こう‐ぎ カウ‥【講義】

〘名〙 書籍や学説の内容や意味を解きあかすこと。また、教授者の説明によって行なわれる授業。また、大学の授業をさしていう。
※蔭凉軒日録‐延徳二年(1490)四月一八日「上様以功叔愚曰、小補講義御望也」
※不如帰(1898‐99)〈徳富蘆花〉上「勿論経済の講義(カウギ)は得意にて、妙な所に節倹を行ひ」 〔新唐書‐百官志三〕

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デジタル大辞泉「講義」の解説

こう‐ぎ〔カウ‐〕【講義】

[名](スル)
学問の方法や成果、また、研究対象などについて、その内容・性質などを説き聞かせること。また、その説明。「学生に国文学講義する」
大学の授業。「講義に出席する」「集中講義
[類語]授業レクチャーレッスンドリル助言教示訓示アドバイスコンサルティングカウンセリング指導導き教え手引き指南教授教育訓育教導補導ほどう善導誘掖ゆうえき鞭撻べんたつ手ほどき教習コーチ伝授する講ずる仕込むたたき込む育てる導く仕付ける教鞭を執る薫育教化教学文教育英教えるガイダンス手を取る示教指教徳育知育体育矯正薫陶入れ知恵洗脳感化徳化醇化啓発啓蒙

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普及版 字通「講義」の解説

【講義】こう(かう)ぎ

解釈。解釈した書。〔孝経注〕今特(た)だ元を翦裁し、書を引し、義錯經、歸趣を會合し、一にに依り、第解釋す。之れを號(な)づけて義と爲すなり。

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大学事典「講義」の解説

講義
こうぎ

[講義の起源]

大学における教育方法のうち,もっとも普遍的で古くからある形態のもの。英語の講義lectureは,ラテン語のlectare(読むこと)に由来し,多くの学生を相手に教師が文献を読み説明を加えることで,知識を伝達し,批判的思考を刺激したりすることを目的とする。その起源は,古代ギリシアにさかのぼる。プラトンは紀元前387年頃にアカデメイアを開いたが,そこでの教育方法は,一問一答の対話によって考察を深めるディアレクティケー(対話法)がおもなものである。ソクラテスの問答が示すように,当時は対話を通じた問題の発見と考究,すなわち教師と学生がともに研究することで教育するものであり,講義は普遍的ではなかった。これに対し,アリストテレスは講義を重視し,紀元前335年に開いたリュケイオンでは白板,図表,地図などを使った。紀元前300年を下るヘレニズム時代には,教育方法としての講義は一般的なものとなった。文法・文学の教師は,まず生徒の写本を照合し,次いで生徒は朗読・暗誦を行い,教師は文の解説を行った。このほかにも,教師たちの講演,ギリシア世界で重視された弁論術のための理論や,範例学習,応用練習なども行われていた。文献をもとに教師が読み・説明することは,知的成果が体系化された段階で,効率的に学習させる方法として,その後拡大し,洋の東西を問わず共通した方法になった。

[中国の講義]

中国においては,体系的な教育は孔子などの儒学者によって始められた。当時の教育方法は,教師は講義をするものの生徒との質疑によって理解を深めるもので,それを記録したものを「講義(中国)」と称した。孔子は,生徒にヒントを与えて悟らせる「啓発誘導(中国)」などを行い,今日の講義とは異なっていた。戦国時代に入り,斉(BC386-BC221)には「稷下学宮」が設立され,さまざまな学者が集まり,それぞれの学派の講義を行った。時代が下がって,秦・漢などは国家を運営する官僚育成が求められ,科挙と結びついて,試験のための講義が主流となった。しかし,唐末期から宋,元に広がった書院(中国)は,講師の講義と生徒の質疑を組み合わせたもので,教授者の一方的説明だけで講義が行われたわけではなかった。

[大学の講義]

知識伝達の方法としての講義は,中世の大学で広まり,教育方法の主流となった。大学教授職の地位として,lecturer(講師)という職名があるのはそれを反映している。講義はあらかじめ定められた書物をもとにラテン語で行われ,註釈書も決まったものであった。印刷技術の発達しない時代には,学生は一字一句書物を筆写した。18世紀になると,近代科学の成立や新たな大学の設置によって,医学教育における臨床や化学での実験も行われ,講義と命題討論だけが大学の授業ではなく,実務的な演習,コロキウム,ゼミナールなども導入されるようになった。1920年代には,授業形態としての講義の効果について疑問が呈されるようになり,欧米ではさまざまな研究が行われるようになった。それらの研究から,講義は情報伝達を行うには効果的だが,批判的思考の促進や,態度の変容には効果が低いという結論が得られている(D.A. ブライ,D.A.)。1970年代の研究では,講義とそれ以外で学生の満足に明らかな違いはないと結論付けられている。

[前近代日本の講義]

古代日本の体系的教育は,大宝律令(AD. 701)の大学寮(日本)設置に始まり,『孝経』『論語』などを教科書に音博士(日本)による読み方,大博士・助博士による講義が行われ,令に定めた註釈書によって解説が行われた。江戸時代には藩校・私塾が広がり,漢学・国学・洋学の教育と学習が行われたが,その教育方法の中心に講義は位置付けられていた。漢学(日本)の場合,初学者はテキスト(課書)の素読(リーディング)から学習をはじめ,教師は読み方のみ教えた。一通り読みがわかると,講義が始まり,一斉教授で経典の一章一節を説明する講釈や,個別教授である講授も行われた。このほかの教育形態としては,学生がグループを作り,順番を決めてテキストを読んで説明し,他の参加者が質問・討論する今日のゼミに当たる会読・輪講などもあった。江戸末期の私塾における学習は,福沢諭吉『福翁自伝』(日本)(1899年)が活写している。

[大学の移入と講義]

札幌農学校,開成学校,医学校など明治初期の高等教育機関は,お雇い外国人(日本)教師により,欧米の学問を講義し,それを国内化することが重視された。1886年(明治19)に成立した帝国大学は学年制をとり,法科大学では教授が読み上げるノートを学生が書き写すことが講義であることが珍しくなかった。講義は試験と連動し,3科目落とすと無条件で落第となった。明治40年代のある法科大学卒業生が4年間に69冊の講義ノートを書き溜めたという記録もある。試験が学生の自由な思考を育てず,暗記中心の学習になることの批判は,大正期になると外国人教師からも出始め,試験の成績による表彰などは廃止されるが,授業形式としての講義そのものを見直す動きは,21世紀になって強くなってきた。学生との応答を組み入れた双方向授業,ビデオなど視聴覚教材の利用,ミニット・ペーパーによる学生からのフィードバックなど,講義形式でありながら,多様な取組みも行われている。
著者: 羽田貴史

参考文献: D.A. ブライ著,山口栄一訳『大学の講義法』玉川大学出版部,1985.

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