弘仁(読み)こうにん

日本の元号がわかる事典「弘仁」の解説

こうにん【弘仁】

日本の元号年号)。平安時代の810年から824年まで、嵯峨(さが)天皇、淳和(じゅんな)天皇のの元号。前元号は大同(だいどう)。次元号は天長(てんちょう)。810年(大同5)9月19日改元嵯峨天皇即位にともない行われた(代始改元)。嵯峨天皇は、前天皇である平城(へいぜい)天皇の同母弟。嵯峨の即位にともなって平城は上皇となり、809年(大同4)に旧都平城京へ移っていた。810年(弘仁1)、天皇への復位を望んだ平城上皇は、寵愛する藤原薬子(くすこ)とその兄仲成(なかなり)とはかり、平城京遷都の詔勅を出すが嵯峨天皇はこれを拒否。上皇は挙兵のため東国に向かったが阻止され、平城京に戻って出家し、事件は終息した(薬子の変)。弘仁への改元は、この直後に行われた。以後、嵯峨天皇の治世は表面的には平穏で、弘仁文化と呼ばれる宮廷文化が花開いた。816年(弘仁7)には空海が金剛峯(こんごうぶ)寺を開山し、820年(弘仁11)には弘仁格式(きゃくしき)が完成した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「弘仁」の解説

弘仁
こうじん
Hong-ren

[生]万暦38(1610)
[]康煕2(1663).12.22.
中国,明末,清初の画僧。「こうにん」ともいう。休寧 (安徽省) の人。俗姓,名は韜,字は六寄,号は漸江学人など。明末の諸生となったが明の滅亡に際して福建省に入りとなる。数年して帰郷太平興国寺などに住んだがしばしば諸方を遊歴。絵は倪 瓚 (げいさん) の蕭散体を学んで明晰な形態性の山水画様をつくり,新安派のとなる。代表作は『竹岸蘆浦図巻』 (2巻,1652,泉屋博古館) 。

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精選版 日本国語大辞典「弘仁」の解説

こうにん【弘仁】

平安時代、嵯峨天皇、淳和天皇の代の年号。大同五年(八一〇)九月一九日代始により改元。弘仁一四年(八二三)四月より淳和天皇の代。同一五年正月、天長と改元。

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